理不尽な病 ~アルコール依存症の夫と暮らして~

アメリカ人の夫との結婚生活15年。夫のアルコールの問題に悩まされて10年。アルコール依存症だと認識して約8年。健やかなる時も病める時も、死が二人を分かつまで、私はこうして地獄に付き合わなければならないのだろうか…? 遠い日本の親にも友達にも言えないこの苦しみを、どうかここで吐き出させて下さい。(2018年5月)

降りやまぬ雨

夫は3年程前に、友人をアルコールで亡くしている。

 

直接の死因は、禁止されていた、処方された薬を服用しながらアルコールを飲むということをしてしまったせいみたいなのだが、彼もアルコールに問題があり、アルコールがらみで内臓をやられ、それで亡くなったらしいのだ。夜、普通にベッドに入り、朝になったら冷たくなっていたらしい。

 

この友人は、朝からアルコールを飲んで出社したことで、会社から解雇されている。詳しくは知らないのだが、泥酔でもしていたのだろうか。またこの友人は、飲酒運転で警察に捕まり、法によって、アルコールの外来プログラムにも強制的に行かされていた。夫はこの彼のアルコール問題を、「もうしょうがない奴だなぁ~」と言って笑っていた。笑うと言っても彼のことを馬鹿にして笑っていたのではなく、悪友としての、友情のある笑いのことだ。

 

夫はこの時、既にアルコール依存症ではあったものの、まだ普通に会社勤めをしていて、周りからはアルコールの問題が見えないほどに、第一線で活躍していた。当然、この友人のように、朝からアルコールを飲んで出社するなどということはなかった。そういう夫は、この彼を見て、まだ自分はそこまで堕ちてはいないという気持ちになったことだろう。

 

恰幅の良かったこの友人は、亡くなる直前にはガイコツのようにやせ細っていたらしい。この彼が、今の夫のように重度のアルコール依存症だったのかどうかは分からないが、かなりの酒乱であり、彼のアルコール問題は深刻だったということは間違いない。

 

自分は大量にアルコールを飲むけれど、自分はまだ死ぬ直前の彼のようにガイコツみたいにはなっていないから、まだ死なないから大丈夫だ、と言っていた夫は、連続飲酒で食事が取れず、一時身体が痩せ細ってしまった時があった。このまま、あの彼のように眠ったまま亡くなってしまってもおかしくはない、という状態を何度も見てきた。

 

でも慣れというのは恐ろしいもので、そんな夫の姿を見ても、私は妙に落ち着いていた。どうせ離脱症状が終われば、また元気になるんだろう、そんな風に思っていたし、それは今でも変わらない。でも本当は、離脱症状こそが危なく、死に至ることがあるのだ。慣れということに甘えず、常に危機感を持っていなければならない、と改めて自分を戒める。

 

もし過去に、夫のアルコール依存症の進行を止めることができたとしたなら、それはこの友人の死がキッカケになっていただろう。夫がこの彼の死から学んだことは多かったはずだ。実際夫は、いつかこの彼のように、自分も早くにアルコールで亡くなってしまうのではと語っていた。

 

この彼と自分を照らし合わせ、自分も大量に飲むアルコールの害についていろいろ調べたはずだし、ガールフレンドとの間にできた小さな娘を残してこの世を去った彼に、夫は自分の姿を重ねたはずだ。

 

そして私もまた、このガールフレンドに自分の姿を重ねていた。

お葬式で私が彼女に悲しく挨拶をすると、彼女は涙を見せることなく、静かに私に微笑んだ。急なことで戸惑い、まだ気持ちの整理がついていなかったのかも知れない。そして、「悲しくはない。ただ、彼に対して怒りの気持ちがあるだけ。でも時間が経ったら、きっと悲しいっていう気持ちが芽生えて来ると思ってる。」と言っていた。

 

その気持ちはよく分かる。

私も夫の死を何度も想像したことがある。あれだけの飲酒量と離脱症状を見せられると、死が現実に思えてくるのだ。回復することにもっと積極的になってくれていたら!プライドを捨て、素直に周りのアドバイスを聞き、治療に専念してくれていたら!

そういう思いが、悲しみを超えて怒りとなる。

 

いや、想像などではなく、離脱症状で息ができないと苦しむ夫が弱っていき、実際に夫の意識がなくなって動かなくなったことが何度もある。慌てて大きく声をかけ、体を揺さぶって死んでいないということを確認しつつ、意識を取り戻させたりもした。

 

冗談などではなく、もしかしたら一度ぐらいは、呼吸が止まった夫を死の淵から呼び戻したことさえあるかも知れない。人がこんな状態になるのを実際に目にするのは、本当に恐ろしいことである。私にこんな思いまでさせ、ここまでしてアルコールで自分の体を痛めつける夫は、このままいくと、本当にその友人のような最期を遂げてしまうかも知れない。

 

この友人とガールフレンドは、結婚はしていなかったが、ずっと彼らは家族だった。彼と彼女と娘さんの3人暮らしで、彼らもまた、アルコール問題と闘って来たのだ。

 

私の夫はこの友人の死後、残された彼の娘さんのために、大学資金用の学資貯蓄のアカウントを作り、毎年彼女の誕生日に小額ながらお金を入れている。それが、彼のために、自分がしてあげられる唯一のことだから。

この家族の姿は、私達の将来の姿。

そんな思いが、夫の中にもあったのだと思う。

 

夫は、この彼の死から、自身のアルコール問題を真剣に考えてくれてはいた。でも悲しいかな、夫は既にアルコール依存症だったのである。

友人の死をもっても進行を止められなかった夫の病気は、その後、更に進行が進んで行き、その彼と同じような道を辿って、そして今に至っている。

 

アルコールをやめたいという、意志だけではもうどうにもならない病気、アルコール依存症。

夫は、私に何度も I’m sorryと言い、そっと涙を流す。

それでも、グラスを口に運ぶのはやめられない。

酔いながらも、「アルコールで死にたくない」と、また静かにひとすじの涙を拭う。

 

飲みたくないのは、もう充分分かってるよ。

飲みたくないのに、何か見えない大きな力によって操られているかの如く、ただただ、飲み続ける夫の姿が哀れで悲しい。

そして、夫も私も、アルコールの前では無力である。

床に不自然に倒れ込んで寝ている夫と、夫の側にあるウォッカのボトルを見て、今日も、私の心が泣いている。

 

 

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NO REGRETS (後悔はしていない)

アルコール依存症は進行性の病気である。

長い時間をかけて、徐々に、ゆっくりと身体を蝕んでいく。

夫は十代の頃から、約20年間アルコールを飲み続けている。

夫がアルコールで変貌し始めたのが約10年前。

当時の私は、酔った夫のことを、酒癖が悪くてもう嫌だなー、というぐらいにしか思っていなかった。

 

アルコールを飲み過ぎない方がいいということは何となく分かってはいたが、何せ私は自分では飲まないので、夫の飲酒量を異常だとは思ってもおらず、あまり関心も持っていなかった。

 

夫がアルコール依存症という恐ろしい病気になってしまうと分かっていたなら、もっと早い段階で休肝日を設けるなり、飲酒量を減らすなりのアドバイスはしていただろう。でもアルコール依存症になってしまったのは結果論であり、どんなに酒豪でも、アルコール依存症にならない人もいるのだ。

 

たとえ私が早い段階で夫に節酒するよう促していたとしても、夫は節酒することなどなかっただろう。夫は、人の言うことに全く耳を貸さないのだ。

 

だから、私は自分のことを責めてはいない。

夫がアルコール依存症になってしまったのは夫の自己責任であり、私にできることなど、何もなかったのだ。

 

強いて言えば、夫にちゃんと、自分が飲むアルコールの害について勉強して欲しかった。

私の言うことなど何も聞かないにしても、自分で見つけた答えには、彼は素直に納得するのだ。

 

夫は、節酒して来なかったことについては何も語らない。

What’s done is done.

過ぎてしまったことは、もう仕方ない。

 

ただ、これからの人生、もう二度とアルコールは飲みたくないと夫は強く主張する。

 

その気持ちに身体が追い付き、依存から抜け出して早く普通の生活に戻れるよう、今は夫も私も、前を向いて生きて行きたい。

 

 

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アルコールと私

愛と憎しみは紙一重と言えど、私のアルコールに対する憎しみが愛に変わることは決してない。いや、というより、もともと愛があったものが憎しみに変わったという、まさに結果として紙一重状態だったということなのかも知れない。若い頃の私は、確かにアルコールがある場所が好きだったのだ。

 

飲みたかったから飲んでいたのではなく、その場の雰囲気に馴染みたくて、「大人」であることを感じていたくて、背伸びをして周りに合わせて飲んでいたような気がする。

 

そんなに頻繁に行っていたわけではないが、たまにバーやクラブ、居酒屋などでアルコールを飲み、「あれ?私って、実はアルコールに弱いの?」と徐々に気付いてきたあの頃。一杯飲んだだけで心臓がドキドキし、顔が真っ赤になり、寒気で身体が震え、周りがワイワイ騒いでいる中で、早くも一人で酔っ払って寝てしまう。だからその一杯を、自分がつぶれないように、時間をかけてチビチビと飲む。そして大抵は全部飲めずに残してしまう。頑張って飲んだ末に、急性アルコール中毒になりそうな時もあった。それでも、アルコールがある場所の雰囲気が好きだったから、あの頃はそこに自分の身を置くだけで楽しかった。

 

好んで飲んだのは、カルアミルク、ホワイトルシアン、ピニャコラーダ、スクリュードライバー、ラムコーク、ウーロンハイ、杏露酒、レモンサワー、と、書いていて気付いたのだが、甘いカクテルが好きだったようだ。

 

カルアミルクは、自分でボトルを購入して家で飲んだりしていた。自分で作る方が、自分好みの美味しいカルアミルクができるからだ。レシピは、カルーアをほんの少しだけグラスの底に注ぎ、あとはタップリとミルクを投入。ちょっとアルコールの味がする、甘いコーヒー牛乳のような感覚で飲んでいた。

 

ビールが美味しいと普段は思わないのだが、それでも、人生で一度だけ、「ビール美味しい!」と感じた時があった。真夏の暑い夜、仕事の残業の帰りに、仲の良かった上司と、サラリーマン達がひしめく新橋のオヤジ的飲み屋でビールを飲んだあの瞬間、あれは本当に美味しかった!真夏に汗をかきながら、残業でクタクタになって疲れた体に、よく冷えたビールをカーッと流し込む。やっとみんなが言うビールの美味しさというものが分かった気がして、とても嬉しくなった。でもビールが美味しいと感じたのは、後にも先にも、あの時だけだった。

 

話は戻るが、あの頃の私は、「夫が好んで飲むウォッカ」をベースとしたカクテルを飲んでいた。いや、無理して頑張って飲んでいた、と言うべきであろうか。本来の私は、アルコールが飲めないのだ。

 

バーやクラブへ行っても、アルコールを飲みたくなかったからお水を注文し、最初から最後までずーっとお水だけを飲んでいた時もあった。そこまでして周りのアルコールの雰囲気に酔いたかった私は、まさか将来こんなにアルコールを憎み、アルコールに悩まされる日々を送ることになるとは思ってもみなかった。

 

今は夫のウォッカの匂いを嗅ぐだけで心がかき乱される。その匂いによって、私の脳までもがダメージを受けているように感じ、何とも言えない、目眩がしそうな程の不快な気持ちになる。

 

再飲酒の疑いがある時などは、とりあえず白黒ハッキリさせるために夫のドリンクを口に含んで確認してみるのだが、そんな疑いがある時はほぼ確実にウォッカが入っているので、飲み込むことなくすぐに吐き出す。

 

口に含んだだけで舌と脳にツーンと刺激が伝わるこのハードドラッグに、私の身体までもが蝕まれないよう、絶対に飲み込んだりはしない。でも、すぐによくうがいをしても、ウォッカの毒が私の舌から脳へと伝わり、頭がクラクラする。

 

私の中ではアルコール依存症 (Alcoholic / Alcohol Addiction)という言葉とウォッカの匂いがパブロフの犬のようにワンセットになっており、アルコール依存症だと言われる海外の俳優達の顔を見るだけで、こんなことを感じてしまうのは重症かも知れないが、彼らの身体から漂うハードリカー、特にウォッカの匂いが容易に想像できてしまい、彼らの顔を見るだけで心がざわついておぞましくなる。

 

日本人でもなく、白人の俳優に対してこのような気持ちになるのは、夫と同じ人種で重なりやすいからなのだろう。

 

特に、「〇賊」のお召し物がよく似合うあのハリウッド俳優は、見るからに長年の酒飲みの顔つきをしているので、画像からハードリカーの匂いが漂ってきそうで、おぞましくて、ゾワッとして、鳥肌が立ちそうになる。

 

ウォッカに限らず、もうアルコール全般の匂いが嫌だ。

アルコールを見るのも嫌だ。

人が飲んでいるところを見るのも嫌だ。

 

でも、矛盾しているかも知れないが、楽しく飲んでいる私の友人達に対しては、嫌だと言う気持ちは起きない。いくらアルコールが恐ろしいハードドラッグだと言えど、飲酒は合法なのだ。楽しく飲んでいるなら、それはそれでいいのです。ただ、私には私の事情があるので、皮肉ではなく、みんなは飲んで楽しんでネ!と思っています。

 

みんなが楽しいと私も楽しい。

ただ、私もみんなと一緒になってアルコールを飲むということは、もう、金輪際、ない。

 

 

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