理不尽な病 ~アルコール依存症の夫と暮らして~

アメリカ人の夫との結婚生活15年。夫のアルコールの問題に悩まされて10年。アルコール依存症だと認識して約8年。健やかなる時も病める時も、死が二人を分かつまで、私はこうして地獄に付き合わなければならないのだろうか…? 遠い日本の親にも友達にも言えないこの苦しみを、どうかここで吐き出させて下さい。(2018年5月)

失われた信用

かつて私達が日本に行く時、いつも空港まで車で送ってくれ、また、迎えに来てくれていた夫は、ここ数年の日本への里帰りでは、もうそれができなくなっていた。

 

夫が離脱症状で苦しんでいる最中、義母に夫の様子を見に来てもらい、運転ができない夫の代わりに急遽、事情を知っていた友人に、朝早く空港まで車で送ってもらった時もあった。あの時は、苦しむ夫を残して日本へ経つことへの罪悪感と、ここまで堕ちてしまった夫を想い、後ろ髪を引かれる思いで、空港へと向かう車内で泣いた。それが、夫が私達を空港まで連れて行けなくなった最初の時だった。帰りも夫は迎えに来てくれることができずに、私は友人に空港まで車で迎えに来てもらった。

 

その次に日本に行った時には、私はリムジンバスを利用するつもりでいた。帰りの飛行機が夜中近くの到着だったため、自分で運転して行くと、人気のない駐車場を娘と二人で歩くことになり、それが怖かったのだ。私一人ならまだ大丈夫だったと思うのだが、娘を連れているから、彼女をわざわざそんな危険な目に合わせるわけにはいかなかった。

 

そんな私に、夫は何度も「空港まで自分が運転していくから!」と主張し、絶対にシラフでいることを約束してくれた。でもそんな夫の言葉が信じられなかった私は、裏ではちゃんとバックアッププランを考えていた。

 

そして当日、直前になって、夫は飲んでしまった。夫の態度や話し方で、言われなくても夫が飲酒したことはすぐに分かった。それでも飲んでいないとのたまわる夫。夫よ、あなたは飲酒運転で私達を空港まで送るつもりなのか!?交通事故にあったらどうするのか!?呆れて夫を軽蔑し、彼の主張を冷たく無視した。もっとも、予想していたことではあったので、バックアップを頼んでいた義母に空港まで連れて行ってもらった。「息子の言うことは何も信じられない!」とご立腹の義母。彼女も、今までに幾度となく、夫から約束を破られて来たのだ。飲んでしまうと約束など守ることができないから、アルコール依存症者は、こうして周りからの信用を失っていくのだ。

 

帰りは、夫や義父に何度も連絡を取りながら、夫が飲んでいないということを確認した。それにも関わらず、到着した空港に夫の姿はなかった。空港から電話をし、夫を待ったのだが、なかなか迎えに来ない。飲んでいることを確信した私は、この時もバックアップを頼んでいた義理の継母に、空港まで迎えに来てもらった。(義父は体調が悪く、この時は運転ができなかった。)

 

彼女が到着したのは、夜中の1時過ぎぐらいだっただろうか。私も娘も、空港の外でずっと、彼女が到着するのを待っていた。幸い、真夜中でも空港の利用者は、思いのほかまだ沢山いた。眠っていたであろう彼女を起こして、空港まで迎えに来てもらったことは、彼女に本当に申し訳なく思っている。でもこんな時間に電車が走っているわけもなく、また、例え電車で帰ったところで、そこからの足もない。こんな真夜中に、どんな人が運転しているかも分からないタクシーで帰るということは怖くてできず、この時は、知っている誰かに迎えに来てもらう以外に方法はなかった。もちろん彼女、ご立腹でした。夫に対して。みんな、当然、夫への信用をなくしていた。夫のせいで帰宅時間が更に遅くなった私は、朝、身体を休める暇もないまま、すぐに仕事へと向かった。

 

日本滞在中に、「帰りは、〇〇さん(夫)が空港まで迎えに来てくれるんでしょ?」と当たり前のように聞いてきた私の母に、こんな話はできなかった。「うん、迎えに来てくれるよ。」そう答えるのが精一杯だった。

 

そしてそれ以来、日本に里帰りする時には、私は空港まで自分で車を運転して行くことにした。

駐車場代もバカにならないし、ほぼ一日がかりの日米移動時間の最後に、自分で車を運転して帰るだなんて、この老体には堪えるのだが、関係ない人達を巻き込むくらいなら、自分の身を犠牲にした方が断然マシである。

 

こうして、私は夫に期待することを完全にやめた。

 

 

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不穏な日々

2019年、冬。

私と娘は、4年振りのお正月を日本で過ごしていた。

今回の滞在は2週間。年末年始で慌ただしいながらも、夫から解放されて、平和に過ごせるはずだった。

 

断酒がある程度継続できたアルコール依存症者なら、きっと誰もが一度は思うことなのだろう。

 

「ずっと断酒しているから、もう治ったんじゃないか?」

「一杯だけなら、飲んでも大丈夫なんじゃないか?」

 

そして私達が日本へ経つ少し前に、夫は見事、再飲酒してくれました。

 

一旦アルコール依存症になってしまうと、もう二度と普通の人達のように飲酒をコントロールすることができない。

 

それを十分分かっていたはずの夫は、ビール一口だけなら大丈夫なのではないかと、飲んでしまった。この期に及んで、まだそんなことを考えていたのか!と腹立たしくなったが、本人は、まだ飲酒を諦めきれていなかったのだろうか。

 

最初はビールから始まり、それからすぐにウォッカへと移行。止まっていたブレーキが壊れてしまったかのように、すぐにまた元の状態に戻った。

 

お決まりの離脱症状が終わる頃には、夫に愛想を尽かしつつ、私の心は日本に向かっていた。

いちいち夫の状態に振り回されて、自分達まで苦しむことはない。

 

年に数日間だけ、どうか、私達を夫から解放して下さい。

 

もうすぐ日本へ行くという開放感から、私は気持ちが大きくなっていた。

でも、やはり夫を一人残していくことには、大きな不安が残る。

 

夫が泥酔して近所に迷惑をかけたり、事故を起こしたりしないだろうか。

離脱症状が起こった時、一人で大丈夫だろうか。

火事を起こさないでちゃんと家を守り、犬達のご飯や散歩などの世話をしてくれるだろうか。

 

アルコール依存症の夫には、そんなことさえも期待ができない。

 

日本への里帰りという楽しい時でさえ、夫と離れていても、いや、離れているからこそ、私の心配事は尽きない。

 

 

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年の瀬に思うこと

もう2018年も暮れになり、私の、「夫のアルコール依存症」との闘いにも年季が入って来た。

最初は苦しくて仕方なかった今の状況、もちろん今でも苦しくて、深刻だからこそ人に言えないでいるのだが、最初の頃に比べると、これが当たり前の生活になった今、慣れと諦めと受け入れで、何とか身を持ち堪えている。

 

夫のアルコール依存症が、ここまで悪化するとは思ってもみなかった。

仕事のストレスで飲酒量が増え、それでアルコール依存症になってしまったのだから、そのストレスの元凶である仕事から離れれば、ストレスもなくなり、飲酒する必要もなくなると思っていた。

 

甘かった。

 

アルコール依存症になってしまったら、もう飲む理由なんて関係ない。

依存してしまった脳が、身体が、自分の意志とは無関係にアルコールを欲する。

自由な時間があると、それが飲む時間になる。

食事を取ることもなく、ただ飲み続ける。

時々理不尽な暴言で絡まれ、それ以外はただひたすら飲んで、寝て、飲んで、寝て・・・・・の山型飲酒サイクルを繰り返し、しまいにはゾンビのような廃人になる。

体が飲むことを受け付けなくなると、今度は離脱症状で、本人も周りの家族も苦しむ。

 

この数年間、私達家族はみんな、ずっと苦しかった。

自分達が普通ではないということを分かっていながら、でもどうにか普通に見えるよう、普通の暮らしをするように心がけてきた。

 

でももうそろそろ、こんな状況から抜け出してもいい頃なのではないだろうか?

この苦しみが永遠に続かないよう、そして、明るい未来が開けるよう、来年こそはいい年になって欲しい、と心底願っている。

 

 

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