薬のアルコール
最近、某元タレントの方が薬物で逮捕された。
アルコールも薬物も、合法か非合法かの違いだけで、身体への影響や、依存症になった際の依存度、堕ち方、世間からの蔑み、回復のプロセスは似たようなものである。
薬物やアルコールに限らず、依存症という病は、世間からの理解を得ることが非常に難しく、誤解をされることが多い。世間の方々には、Relapse (再発)してしまったこの彼のことを、白い目で見て攻撃するのではなく、彼の失敗を通じて、依存症の回復の難しさを知ってもらえたら、彼の過ちも無駄にはならないのではないだろうか。
私はこの彼に、別に特別な思いがあるわけでも何でもないのだが、依存症という病の苦しさが分かる故、つい気持ちが寄り添ってしまう。彼のRelapseのニュースには、私も心が苦しくなりました。
さて、私のアルコール依存症の夫は、最近風邪をひいてしまったようだ。
私も在米歴は長いのだが、風邪でアメリカの医者から風邪薬を処方してもらったことなどなく、また、娘が小さい頃でさえ、風邪をひいて病院に連れて行っても、医者は娘に対して風邪薬を処方してくれたこともない。薬を処方して下さい、と頼んでみても、医者は市販の薬を勧めてくるだけ。日本在住の頃は、風邪をひけば医者は普通に薬を処方してくれたものだが、アメリカでは、医者から風邪薬を処方される、ということは、あまり聞いたことがない。
・・・というより、アメリカ人は、風邪ごときでわざわざ病院には行かないのかも知れない。そして、処方箋がなくてもアメリカの市販の風邪薬はパワフルなので、それで十分間に合ってしまうのである。
我が家の大人達が風邪の時にお世話になる市販薬は、だいたいリキッドタイプのNyQuilである。これを飲むと、頭がカーッと熱くなり、そのまま眠ってしまう。眠りたくない人は、NyQuil(夜用)ではなく、DayQuil(昼用)を飲むと良い。
風邪をひいた夫は、私に NyQuilを買ってくるように頼んできた。
カプセル状のものもあるのだが、リキッドタイプとどちらがいいのか一応夫に聞いてみた。
「カプセルがいい。」
えー、何で?
「リキッドはアルコールが入ってるから。アルコールは飲みたくないから。」
あ、そっか!そう言えば、アルコール入ってたね!
そう、頭がカーッと熱くなり、コロッと眠らせられるこの風邪薬には、アルコールが10%も含まれている。(効用は違うが、養命酒と同類のようなものだろうか。)
そんなこと、全く頭になかった。
アルコール依存症の夫は、アルコール入りのこの風邪薬を、今後一切飲むことができない。
「そっか、NyQuil、もう飲めなくなったんだね。」
やはりアルコール依存症当人の夫は、私以上に、アルコールには敏感になっているようだ。
このように、本人が細かくアルコールに気を付けてはいても、Relapseしてしまうことはある。
RelapseかSober(シラフでいること)かは、紙一重のようなものである。
だから、夫の失敗を責めたくても責めてはいけない、と私も頭では分かっている。
それに振り回される周りも苦しいのだが、本人も勿論苦しいはずであり、私には、夫のことも、Relapseした人達のことも、軽蔑したり責めたりすることはできない。(・・・と言いながらも、それが夫だと、つい責めてしまうのだが。)
先に書いた某元タレントの方のRelapseも残念に思うが、Relapseしてしまうことは回復の過程で珍しいことではなく、この病の深刻さと治療の難しさを再認識するという意味でも、依存症者には必要なプロセスである。
何年、何十年とsoberでいても、ちょっとしたキッカケでまた元に戻ってしまうから、依存症とは、本当に厄介な病である。
飲酒欲求とストレス
私の夫は日々、試行錯誤しながら、回復に向けて答えを探している。
何で飲んでしまうのか、どうすれば飲まなくなるのか、何度も失敗を繰り返しながら、夫は自分に合った断酒方法を探している。
今まで夫の断酒が続いていても、何度となくスリップしてしまったのは、身体的依存の他に、二つの精神的な理由があるようだ。
一つは、会話の中にアルコールが出て来た時。
AAで聞く依存症者達のアルコールにまつわる話は、夫に一層飲酒欲求をもたらせた。
この夏、気持ちを改めて夫と二人でAAのスピーカーズミーティングに行ったことがあったのだが、かえって飲酒欲求で夫を苦しめてしまった。
スピーカーズミーティングとは、アルコール依存症回復者のスピーチを聞くというミーティングのことである。
でも夫以上の壮絶な話を聞くことはできず、夫も、「自分の方がもっと酷い体験をしてきた。そしてそれを、もっと上手に話すことができる。」と笑っていた。「いつか、アルコール依存症回復者のスピーカーとして、あなたがみんなの前で話をしてくれたら、私は見に行きたい。」と私も笑った。
その笑顔の裏で、夫は飲酒欲求と闘っていた。
そして、それに負けることが度々あった。
それを見ている私もいい加減「もう勝手にしてくれ!」と怒りでいっぱいになるのだが、気を取り直してまた一からやり直すということを、夫も私も辛抱強く続けている。
もう一つの精神的理由は、ストレスを感じた時。
不安やストレスを感じた夫は、飲酒欲求が止まらずに今までに何度も失敗をしている。
夫は一年前に煙草を止め、その代わりにVaping (Juul)を始めたのだが、同時に何故かそれで飲酒欲求がなくなったことがあった。当時はそれが不思議で、いろんな妄想に駆られたものだが、今思えば、Vapingという新たなリラックス方法のお陰で夫はストレスが緩和され、飲酒欲求が出て来なかったのかも知れない。
だからその後、Vapingに慣れてくると、夫は再びスリップをした。
断酒補助薬もあれから試してみた。
それでも、完全に夫の飲酒を止めることはできなかった。
その代わりに夫の飲酒欲求にストップをかけたのは、Anxietyの薬だった。
薬を飲んでストレスがなくなると、飲酒欲求が出て来ないと夫は言っていた。
夫が再飲酒してしまう精神的理由は、やはりストレスが原因だったようだ。
夏の思い出 ~Camping~
今年の夏は、少し嬉しい進展があった。
夫が回復したら行きたいと思っていた「家族旅行」が実現したのだ。
「予定を立ててどこかに行く」なんてこと、普通の家庭には当たり前のことかも知れないが、それがアルコール依存症者のいる家庭になると、事情は異なる。
まず、いつ夫の容態が急変するか分からないから、旅行の計画など立てられない。
夫の体調がいい頃を見計らって、ようやく旅行の計画を立てても、その旅行の何日も前から夫の様子を伺い、「飲み始めないだろうか?」、「ちゃんと予定通りに旅行に行けるだろうか?」、「夫に失望させられないだろうか?」、「行けなくなったことで娘を傷つけないだろうか?」と毎日ハラハラし、娘にはあらかじめ、「お父さんの容態によっては、もしかしたら旅行が取り止めになるかも知れない。」と言っておかなければならない。旅行という楽しいプランを立てた際に一番気を揉むのは、「無事にちゃんと旅行に行けるだろうか?」ということなのだ。
実現するかしないか、それが問題なのである。
家族旅行と言っても飛行機に乗って旅をするような大掛かりなものではなく、家から車で2時間程行ったところにある湖に、2泊3日でキャンプをしに行った。
以前にも書いたと思うが、私達の家族旅行に犬達が含まれることは当然のことであり、犬達も一緒に行けて犬達が楽しめる場所として、キャンプが一番いいのだ。
犬達がいなければ、私は何も好き好んで、原始的な生活で汚れながら森の中で寝たりはしなかっただろう。
そして森は、夫が「人間」に帰れて、木々や小川等の「自然」と溶け込めるところ。
もともとハイキングが好きだった夫は、キャンプの一通りの知識はあり、「男らしく、頼りがいのある夫・父親」になれるところなのだ。自然という環境が夫に自信を与えてくれたら、少しでも夫のリハビリになるのではと思い、それも「キャンプ」がいい理由の一つである。
キャンプでは犬達と森の中を駆け回り、小川や湖のビーチで遊び、夫と娘は二人でボートに乗り、私と犬達はそれを岸から眺めて、彼らに大きく手を振っていた。夫達の乗ったボートが近づいてくると、夫達を目指して犬の長女が泳ぎ始めた。犬の次女は、岸から少し離れているボートまで泳ぐことをためらっている。みんなで長女に声援をおくり、次女を励ます。夫はボートまで泳いで辿り着いた犬の長女を、笑顔で抱き上げた。
幸せな瞬間。みんなが笑っている。私達は、久々に「普通の家族」でいる時間を楽しんでいた。
何の事件もなく無事にキャンプを終えて、「家族で旅行に行けた!」「楽しかった!」「飲まなかった!」と嬉しくなった私達は、それから一カ月後、また今度は山にキャンプに行った。
最初のキャンプで問題が起こらなかった嬉しさで、今度は娘の親友も一緒に誘った。
この時も旅行当日まで毎日気を揉み、娘の友達にも、「事情によってはキャンセルになることがある」ということは伝えていた。
実はこの時、キャンプに行く直前まで、夫は「失敗」をしていた。
でも大量に飲んではおらず、あまり酔っ払いには見えなかった。
飲酒のコントロールが出来ないはずの夫は、少しずつゆっくりと飲み、どうにかうまくコントロールしていたのである。
それも、「旅行を実現させるため」、そして、「私達を失望させないため」。
ギリギリまで行けるかどうかの不安はあったのだが、当日、どうやら夫は飲んでいなかったようだ。微かにウォッカの香りが漂っても、それは前日のものだと思ってしまう程、夫は酔っぱらいには見えなかった。
でも2時間も一緒に車の中にいれば、異変に気付くものである。
時々気付いた、心がかき乱されるあの香り。そして夫の話し方、話す内容。
酔っていないように見えても、一瞬、疑惑が私の頭をよぎる。
途中ファストフード店で車を降りたのだが、夫や娘とその友達が店内に入っている間、私は犬達と一緒に店の外で待っていた。
そして、疑惑を拭いたくて夫のバッグを開けてみたところ・・・ウォッカの大きなボトルが一本入っていた。
また、失望させられた。
ショックで動揺した私は、娘やその友達に気付かれないよう、小声で夫を罵った。
「ずっとおかしいと思ってた!やっぱり飲んでるじゃない!キャンプに行くから飲まないでってあれほど言ったのに!また家族旅行を台無しにするのっ!?娘の9歳の誕生日を、キャンプ場で台無しにしたことを忘れたのっ!?泥酔して車を急発進させて森に突っ込み、危うく車は大破!その後も泥酔して意識を失ってキャンプ場の警察に救急車呼ばれてERに運ばれたんだよっ!?あれから何も変わってないじゃない!!!」
夫は自分の悪事がバレ、予期していなかったことへの動揺を隠すように、何事もなかったかのように、私に静かに優しく問いかけ、どうにかなだめようとする。
「お腹空いてない?」「違う店に行こうか?」「行きたい店に連れて行くよ?」
心が引き裂かれるとはこのことである。
キャンプ場でのあの失態から5年も経ってもまだ尚、夫は懲りずにアルコールを持ち込もうとしている。
嘘をつかれて心にダメージを与えられ、失望させられ、それでいて本人は全く悪いことをしたという風に見えない。申し訳ないと思ってはいるのだろうが、何度も何度も同じ過ちを繰り返されることは、本当に辛い。
何度も私をなだめながら、行きたい店に連れて行くよという夫のことを、私は一瞬、「私が勝手に夫のバッグを開けてボトルを見つけたから、夫は怒ってるんだ。だから私をどこかに連れて行って、そこに私を置き去りにするつもりなんだ!私がいるとガミガミうるさいから、私を置いて、みんなでキャンプに行くつもりなんだ!」と被害妄想に陥り、頑なに夫の申し出を断った。知らない土地に置き去りなんてされるわけもないのに、あの時は本気でそう思ってしまった。
そして、これからの2泊3日が容易に想像できてしまい、「最悪のキャンプになる」と絶望的になった。
それでも、もうキャンプ場へと向かっている。
娘もいる。その友達もいる。
私はこの旅行で、娘とその友達に嫌な思いをさせたくなかった。
だから、飲酒のことで夫を責めるのは、この旅行中には絶対にやるまいと心に決めた。
夫を怒鳴るのは家に帰ってから。
それまでは休戦だ。
(本当は、アルコール依存症の世界では、飲酒して裏切られ、どんなに傷つけられても、アルコール依存症者を責めたり、怒鳴ったりしてはいけないのです。理不尽ですが。)
思えば、アルコール依存症になる前、夫はキャンプに行く時には必ずウォッカのボトルをバッグに忍ばせていた。しかしながら、当然、キャンプ場はアルコール禁止である。(日本のキャンプ場に、そのようなルールはないかも知れないが。)「また悪いことしてるよー。」そういうルールを破るのが得意な夫に呆れ、でも私は、夫のことを、ただの酒好きという風にしか思っていなかった。この頃から夫はもう、時間さえあれば、朝からずっと一日中飲んでいた。
失望から始まったこの旅行だったが、意外にも、それから夫はいい子にしてくれていた。
キャンプ場での夫は酔っぱらいには見えず、娘と友達を楽しませてくれた。
だから、私も自然に笑顔になって来た。
2日目の夜、テントの中で夫は私にこう言った。
「全部飲まなかった。飲まないでボトルをゴミ箱に捨てた。」
・・・・・!!!
私は単純過ぎるのだろうか?
夫の告白に嬉しくなり、ありがとうと言って目を潤ませながら強く夫を抱き寄せた。
そして結局何事もなく無事に終わった、今夏2度目のキャンプ。
娘は友達と楽しい時間が過ごせて満足。
犬達も大好きな森の中で野生に戻れて満足。
夫はこれ以上飲酒をせず、家族のためにボトルを捨てることができて満足。
そして私は・・・いろいろ精神的にも肉体的にも疲れたが、とりあえず無事に問題なく旅行が終わり、無事に帰宅できたことに安堵した。
そしてシャワーを浴びてすぐ、家のフカフカベッドでしばらく深い眠りについた。