理不尽な病 ~アルコール依存症の夫と暮らして~

アメリカ人の夫との結婚生活15年。夫のアルコールの問題に悩まされて10年。アルコール依存症だと認識して約8年。健やかなる時も病める時も、死が二人を分かつまで、私はこうして地獄に付き合わなければならないのだろうか…? 遠い日本の親にも友達にも言えないこの苦しみを、どうかここで吐き出させて下さい。(2018年5月)

ずっとやりたかったこと

夫が回復したらやりたいと思っていたことの一つに、自宅でのカラオケパーティがある。

夫のアルコール依存症が酷くなってからは、人を家に呼ぶことができなくなっていた。

だから、人を家に呼ぶことができるようになる、ということが、一つの夫の回復の目安になっていた。

 

夫の断酒が2年経った頃、私は会社の同僚のカラオケ好きな女の子を一人、自宅に招いた。

お酒が大好きなその子には、「ウチは誰もお酒を飲まないから、飲みたかったら自分で持ってきて。」と伝えた。本当はウチの中にアルコールを置くことも嫌だったのだが、そんなことは彼女には関係ない。彼女は自分用に、ビールを4缶ほど持ってきた。

夫がアルコール依存症になってから初めて、私は人を我が家に招いた。

 

それから4ケ月後、今度はその彼女とご主人、そしてその娘さんをまたカラオケパーティに誘った。ご主人とは私も一時期、よく仕事でやり取りをしていたし、面識はあった。

彼女に念を押す。「申し訳ないんだけど、ウチは私もお酒飲まないし、夫も飲んじゃいけない人だから、お酒の用意はしないから。もし飲みたかったら、自分たちで持ってきて~。そして、余ったら持って帰ってーー。」

 

彼女一家がウチに来て、ご主人がウチのキッチンで何かを作っている時に、彼に謝った。「本当はウチがお酒の用意をしないといけないのに、持ってきてもらってしまって、すみません。私は飲まないし、夫は飲んではいけない人なので・・・。」

 

すると、彼の口から思ってもみなかったことを聞かされた。

「大丈夫。分かってるから。ウチもそうだから。父がそうだった。だから気にしなくていいよ。」

「・・・えっ!?」

彼はキッチンで手を動かしながら、サラっと、彼の父親もそうであったことを私に言った。

「僕が高校生の時に両親は離婚したんだけどね。酷かったよ。だから分かる。〇〇さん(私)も大変だったでしょう?」

 

私はしばらく、その彼の側から離れることができなかった。

知り合いで実際に同じような境遇にいた人というのは、それまでいなかったので、初めて気持ちを共有できる人がこんな身近にいて、いろんな思いが込み上げてきて、私は少し胸が苦しくなり、言葉に詰まった。

 

家に人を招いても大丈夫だということが分かった私は、その約2ケ月後には、会社の同僚達やその家族計10名ほどを家に招いてカラオケパーティをした。もちろん、「私は飲まないし、夫は健康に問題があって飲んではいけないので、アルコールは用意しないので、BYOBで持って来て下さい。あまったら持って帰って下さい」と伝えて。

アルコールの置き場所も、料理が置いてあるテーブルから離れた、夫の手の届かない場所に設置した。夫には、私の同僚達に挨拶だけはするようにお願いした。無職だった夫は、みんなから何の仕事をしているのか等を聞かれて気まずい思いをする前に(?)、愛想よく挨拶だけして、自分の部屋に戻っていった。

 

ある同僚が言った。

「旦那さんもここで一緒に食べればいいのに。」

「あ、でも、飲んじゃいけないって言ってたから、ここにいない方がいいのか。」

「何で飲んじゃダメなんですか?飲んだらどうなるんですか?」

 

私は答えた。

「うーーーん・・・、死んじゃいます。」

 

そして彼らは聞く。

「肝臓が悪いとか?」

 

急に聞かれて、私は本当のことを話す気もなく、

「うーーーん、肝臓というか、・・・全体的に?」

と曖昧に返事をした。

 

「ふーん、そうなんですかぁ。」

 

彼らも詳しくは聞いては来なかった。

私が詳細は言いたくないというのを察したのだろう。

 

ホスト(私達)がアルコールを提供できないからパーティはできない、なんていう心配事は、ここ3回のパーティで払拭した。私は用意しないけれど、代わりにみんなに持って来てもらい、余ったら持って帰ってもらえばいい。

私には、あの地獄の元凶であるアルコールを、自らのお金を出して買うということが、どうしてもできなかった。それだけはどうしても譲れなかった。

 

絶対に私はアルコールは買わない。たとえそれがゲストのためであったとしても。

今までの苦しみをなかったことにしたくないから、絶対に自ら進んでアルコールは買いたくなかった。

そして、それでもみんなはワインだのビールだのを持って来て、大いに楽しんでくれた。

 

それに気をよくした私は、その2ケ月後、今度はプライベートの友達を呼んで、同じようなスタイルでカラオケパーティをした。(はい、私は歌うことが大好きなんです。)

アルコールを出せない事情は話せなかったけれど、各自アルコール持参に何の抵抗感もなく、みんな楽しんでくれた。

 

夫のアルコール依存症が酷かった頃には、我が家に誰かを招くだなんてことは絶対にできなかった。だから、人を家に招くことができるようになったことについて、私はとても嬉しくなった。

そして、夫の回復が安定してきていることを感じ、あと少し、あともう一歩だ、と自分に言い聞かせた。