人はやり直せる
本当にどん底だった。
自分たちが世間から置いてけぼりになっている感覚。苦しみを誰にも話せない辛さと孤独。酒浸りで廃人になっていた夫への失われていく信用と怒り。助けてくれなかった、唯一状況を知っていた夫の家族へのいらだち。こんなに苦しい思いをせずに、普通の暮らしができたらどんなにいいだろうと思っていた。
当時の私は派遣社員で、一日に5時間しか働いていなかった。そして夫は無職。
フードスタンプと呼ばれる、政府からの低所得者への食料の援助の申請をすれば、おそらく通ったと思われるのだが、私はそれをしなかった。幸い、食べ物に困るほどの貧困状態ではなかったし、そこまで落ちぶれたことはしたくないという、変なプライドのようなものもあった。
でも医療保険だけは、夫がアルコール依存症だからこそ尚更、いつ発生するかも分からない緊急事態に備えて絶対に必要だった。言わずもがな、アメリカの医療費は高額なのだ。しかしながら、派遣社員だった私は会社から医療保険を受けることができず、代わりに、会社で医療保険をもらえない人のための政府の保険を申請し、収入に応じた保険料を払って、その医療保険を持っていた。これは毎年申請をするのだが、ある年には、申請したら低所得のカテゴリーに入れられ、そこから更に別のオフィスに回され、保険料を払わずに医療保険をもらっていた年もあった。
娘の学校のカフェテリアのランチ代もそう。低所得だったので、割引された金額を払っていたのだが、保険料が無料だった年は、娘のランチ代も無料だった。
いい学区の、まあまあ大きな家に住んでいた私達家族が、まさかそんな風に政府の援助に頼った生活をしていただなんて、傍からは誰も想像だにしなかっただろう。
夫が無職というのは、こんなにも家族の生活に大きな影響を及ぼすのだ。夫がアルコール依存症というだけでも苦しくて心が病んでしまうのに、低所得者として、アメリカの貧困層が受けているような政府の援助を受けなければならないことも、なんだか惨めだった。でも、当時はそうするしかなかった。廃人で機能しない夫に代わり、それらの手続きは全て私が一人で行った。
そしてその廃人だった夫は、今では社会復帰をし、仕事を始めてこの4ケ月の間に、employee of the month(その月に一番会社に貢献した社員)に2回連続で選ばれ、頑張って働いている。あの頃派遣だった私も転職し、今は正社員として働いている。
かつて政府の援助を受けていた私達は、今では政府の援助に頼ることなく、自分達の力だけで生活している。ごく当たり前のことなのだが、このように健康で普通の暮らしができることこそが、人が普段気付くことのない、失って初めて見えてくる、普通である幸せなのだと思っている。