理不尽な病 ~アルコール依存症の夫と暮らして~

アメリカ人の夫との結婚生活15年。夫のアルコールの問題に悩まされて10年。アルコール依存症だと認識して約8年。健やかなる時も病める時も、死が二人を分かつまで、私はこうして地獄に付き合わなければならないのだろうか…? 遠い日本の親にも友達にも言えないこの苦しみを、どうかここで吐き出させて下さい。(2018年5月)

料理のアルコール

私はアルコールを飲まないと言いながらも、料理では普通にお酒を使う。

料理で使う酒やワインが、いくら加熱でアルコールが飛んでいるからと言っても、アルコール依存症の夫にとって、これらの料理を口にすることは大丈夫なのだろうか?

 

オーブンで約2時間半煮込んだ、赤ワインを使ったポットロースト、気のせいであって欲しいのだが、意識して食べてみると、脳で微かにアルコールのクラクラ感を感じてしまった。(そのように思い込んでしまっただけなのかも知れないが。) それを食べながら、夫がアルコールに気付いてしまうのではないかと、恐る恐る夫の様子を伺ってみる。

 

少量のアルコールにも敏感に反応してしまう私ではあるが、こんなアルコールが飛んだ料理に、夫は反応するだろうか?再飲酒のキッカケになったりすることがあるだろうか?

 

こんな小さなことを気にしてしまう私は、思えば、娘を妊娠中の時は、料理にお酒を使うことは一切なかった。どんなに物足りない味でも、お酒だけは絶対に体内に取り入れたくなかった。

妊娠中に、一度誤ってラム酒入りのケーキを食べてしまったことがあるのだが、その時は酷く動揺した。

 

妊娠中にアルコールを摂取すると、アルコールがへその緒から赤ちゃんへと伝わり、赤ちゃんがFetal Alcohol Syndrome(胎児性アルコール症候群)で産まれて来ることがある。この病気についてここに具体的なことを書くつもりはないが、アルコールでも薬物でも、妊娠中のお母さんのそんな犠牲になってしまうのは、いつも何の罪もない赤ちゃんなのである。

 

話は戻るが、料理で使うお酒やワイン、私はそれらを、夫から見えないところに隠し持っている。

夫は、いくらアルコール依存症だと言えど、消毒用のアルコールや、マウスウォッシュを飲んだことはない。重度のアルコール依存症者はそんなことを平気でするらしいのだが、幸い夫には、飲んでいいアルコールと飲んではいけないアルコールの区別はついているようだ。

 

だから、料理で使うアルコールは、絶対に夫の目に触れさせてはいけない。

そんな小さな気遣いをして、夫の再飲酒のキッカケを少しでも減らすよう、私も日々気を付けている。

 

夫が断酒を始めてから、2ヶ月が経ちました。

 

 

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飲みの誘い

飲酒は、アルコール依存症でない普通の人達にとっては、ごく当たり前で楽しいことなのだということは、私にもよく分かっている。

だから、そういう人達からの飲みの誘いを断ることは、アルコール依存症の夫を持つ私としては、複雑な心境になる。

 

日本から来たばかりの駐在員の男の子が、仕事中、わざわざ私の席にやって来てこう言った。「Hopeさん(←私の名前)、今度XX君と、Hopeさんと一緒に飲みに行きたいねって話してるんですよ。」

 

アメリカ人の社交辞令を聞き流すことには慣れている。(アメリカ人は、日本人が思う以上に社交辞令を言うので、彼らの言う「〇〇しよう!」、「〇〇するね!」は、挨拶程度に思っている方が賢明である。)

 

でも、私より一回りも年下のこの日本人の彼は、わざわざ私がいる部屋に、そのことを言うためだけにやってきたのだ。(アメリカのオフィスは広いので、日本の会社でいうところの偉いオジサマ方が使うような個室を、私は一人で使っている。)

だから、この男の子は社交辞令などではなく、本気で飲みに誘いに来たということは明白であろう。

 

私は会社では努めて明るく振舞っているから、「私と飲んだらきっと楽しいとこの男の子に思われているんだろうなぁ・・・。」と、そんなイメージを持たせてしまったこの彼に、申し訳なく思ってしまった。

 

アルコールがあるのが当然なパーティの場で、友人や初対面の人に「私はアルコールは飲めません」と言うのと、アルコールとは関係ない場で、明らかに「飲み」に誘われた時に「私はアルコールは飲めません」と言うのとでは、気持ちの重さが違う。

 

前者の場合は、私がそこにいるのは別にアルコールを飲むことが目的ではないし、既にその場にいるわけだから、「飲めません」と躊躇せずに言える。

でも後者の場合は、「明らかにアルコールを飲むことが目的」なので、そういう楽しい気持ちで誘ってくれているのに、相手の期待を裏切ってしまうな「飲めません」という否定的なことを言うことには、なんとなく躊躇してしまうのだ。

 

この男の子に限らず、みんな、私にアルコールに関するこんなに深い事情があるだなんて、思ってもいないだろう。私のことは普通に飲める人だと思っているだろうし、夫がアルコール依存症であり、そのことで私が毎日苦しんでいるだなんて、誰もそんなことなど想像だにしていないだろう。

 

そういう事実をオープンにしていないし、「普通の人」に見られたことで、「ああ、私、普通の人に見えるんだ」と、一瞬安心してしまい、その期待に沿うために、動じる気持ちを見透かされないように、「うん、行きましょう!」とつい言ってしまった。

そして、少し心が痛んだ。

 

アメリカ人がするような社交辞令なら、私もこんなに心が痛んだりせず、サラッと返答して、悩むことなくここで終わりだっただろう。でもこの男の子は、きっと近いうちに、飲みに行く具体的な話をしに私の席にまたやって来ると思う。

 

私が「本当はアルコールを飲みたいとは思っていない」こと、そんなことを言わないまでも、「アルコールを受け付けない体だから、飲みに行っても、私は飲みませんよ」、ということ、ましてや「アルコール、嫌いなんです!」などということを正直に言えなかったことは、私に罪悪感をもたらせた。

 

「夫がアルコール依存症で・・・」と言うには、私はまだそこまで勇気が持てなかったし、そこまで個人的なことを会社の人に言う必要もないと思った。また、それを言うことによって、相手に引かれて気を遣わせてしまうことも避けたかった。

 

アルコール依存症でない私が、飲みの誘いに対してこれほど複雑な思いを抱いてしまうくらいだから、アルコール依存症の方々は、飲みの誘いに対しては、きっと私以上に複雑な思いを抱いていることだろう。そして、それを断ることもきっと簡単ではないと思う。

 

飲んではいけない体である、ということを説明しても、この病気のことを知らない人は、そこまで深刻なことだとは思ったりしないだろうし、もしかしたら気軽に飲酒を勧めてくるかも知れない。そういう誘惑と戦うことも、アルコール依存症者にとっては、避けられないジレンマだと思う。

 

もしこの男の子が、飲みの具体的な話をして来たら、期待などさせてしまうのは大変申し訳ないから、「飲みっていうより、ご飯ってことでいいですか?車だし。」とサラっと言ってみよう。そして、私がシラフでも楽しんでもらえるように、明るくその場を盛り上げよう。(昔から飲み会では、飲まないことでみんなに嫌な思いをさせないように、飲みの雰囲気に合わせて楽しく喋るという気遣い?はしていたものだ。)

 

・・・と、いろいろ考えてこんなに悩んだ挙句、これで結局具体的な話が出て来なかったら、早合点したオバチャンのたわごとだと笑って下さい。まぁそれはそれでいいのですが、「プライベートの友人ではない誰かと、付き合いで飲むということ」について、久々にいろいろと考えさせられました。

 

そして、こんなオバチャンでも一緒に飲みたいと言ってくれたことが、なんか嬉しくもあり、でも私は飲みたいとは思っていないから相手に申し訳なくもあり(それは決してこの男の子のせいではなく、私の事情のせいなのだが)、そして夫がアルコール依存症で苦しんでいるのに、私は笑顔で(その場しのぎの返答だったとしても)飲みにいくことを肯定してしまった罪悪感で、複雑な気持ちになってしまった。

 

人を魅了する「アルコールの力」って、いい意味でも悪い意味でも、悔しいけどやっぱりすごい。あいにく、私にとっては悪い意味でしかなくなってしまったけれど、大抵の人達にとっては、アルコールとは、人間関係を円滑にさせる、楽しい飲み物なのだと思う。

 

そういうことを久しぶりに感じ、「アルコールを飲むのは当たり前のことである」という価値観と、それだけアルコールの怖さがあまり世間に知られていないという現実に、益々、家族の中にアルコール依存症者がいる、ということの肩身の狭さと孤独感を感じてしまった。

 

いつか、「夫がアルコール依存症(の回復者)だから、アルコールとは関わりたくないんです。」と明るくサラっと言える日が来てくれたらいいなと思う。私の性格上、そういうことを私自身が明るく言えないうちは、問題が深刻であるということであり、問題が深刻なのに、笑顔を作って明るくそんなことは言えないのだ。

 

もし躊躇せずにそれを言うことができたなら、私自身も少しは、「アルコール依存症の家族という病」から回復してきている、という風に思ってもいいのかも知れない。

 

 

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AA(アルコホーリクス アノニマス)

アメリカには様々な宗教があるが、夫は無宗教であり、atheist(無神論者)である。

夫の父や妹もatheist、そして夫の母、兄は敬虔なクリスチャン。片や神を信じていない父、片や神を信じている母、で、価値観の異なる両親が離婚に至ったのもうなずけるような話である。

 

そういう夫は、神だか、それに似たようなものが出てくるAAに参加することに、全く積極的ではなかった。                                                                                                                  

私はAAのことはよく分からないのだが、私も一度参加したことがあるAl-Anon(アラノン/アルコール依存症の家族の会)でも、何やら神のことを言っていたような気がする。ちなみに、信仰している宗教を持たない私は、夫と同じatheist の部類に入るだろう。(日本人の私は、大まかに言えば、仏教ということになるのかも知れないが。)しかしながら夫の親戚はクリスチャンが多いので、クリスチャンのイベントであるクリスマスやイースターは、私達も一緒にお祝いしている。

 

私が数年前にAl-Anonに行った時は義母も一緒だったのだが、酒飲みの義母はAl-Anonなどではなく、自分こそAAに行くべきなのに、アルコール依存症の家族という被害者面をしていたことで、私は不快な思いをしたことがある。グループによるのかも知れないが、私が行ったAl-Anonは全体的に悲しみや苦しみ、痛みの『負のオーラ』が漂い、とても精神的に疲れてしまった。だから、もうAl-Anonに行きたいとは思わなかった。本当は夫に暴言を吐いてしまうより、Al-Anonで自分の思いをぶつけた方がいいということは分かっているのだが、そういう過去の苦い経験により、私はそれ以来Al-Anonには行っていない。

 

こんな私が夫に対してAAに行って欲しいと願うのは自分勝手なことかも知れないが、何十年も断酒している方々が、未だに定期的にAAに顔を出しているという事実に、やはりAAの効果を信じるべきだとは思っている。

 

この夏、夫は一時、集中的にAAに通っていた。

ジーザス(神)の話をされても気にしない、そんな風に、夫は今まで否定し続けていたAAに通い始めた。

 

そんな夫がAAから足が遠ざかってしまったのには訳がある。

AAに行くと、アルコールのことばかりを考えてしまい、かえって飲みたくなるというのだ。

断酒して1年になるAA仲間が「飲みたい・・・。」と毎回涙を流して訴えるその姿を見て、自分もそれに感化されてしまい、それで何度かAAの帰りにウォッカを買ってしまったのだ。

 

もう私が何を言ってもダメだった。

AAに行ったら飲みたくなるから行かない方がいい、そんなことを訴える夫は、せっかくできた断酒仲間からも遠ざかり、AAに行くことをやめた。

 

今はJUULのお陰で断酒ができていると思っている夫でも、この先、何があるか分からない。再飲酒がある可能性は全くゼロではないし、むしろ、限りなく100%に近い確率で、早かれ遅かれ、夫は再飲酒する可能性の方が高いだろう。(そう思うことで、再飲酒時のショックを和らげようとしているのもある。)そうなったら、夫はまたAAに戻って行くかも知れない。でもそれはそれでいいと思っている。私だって、いつかまたAl-Anonに足を運ばざるを得ない日が来るかも知れない。

 

もう、何が正しくて何が正しくないのか、私には分からない。

断酒方法も、人それぞれなのかも知れない。

夫は何年も時間を無駄にして、試行錯誤しながら、自分に合った断酒方法を探っている。

 

 

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夫の断酒方法

夫の断酒が続いている。

信じられないことに、あの重度のアルコール依存症の夫が、2カ月近くもアルコールから遠ざかっている。

心配していた「35日の壁」もようやく乗り越え、今は一日一日を、どうにかサバイブしている。

 

リハビリ施設にも行かず、専門家の助けも得ず、断酒の薬も処方してもらわず、一時積極的に行っていたAAにも行かず、こんなに性格が難しい夫は、やっと自分に合った断酒方法を見つけたようだ。

 

あの夫が、断酒には不可欠だと言われている外部からの助けを得ずに、2カ月近くも断酒が継続できているということは、今までの経緯を振り返ると、奇跡に近いものがある。

 

夫に一体、何が起こったのだろうか?

 

これが断酒の助けになっているかどうかは分からないのだが、喫煙者だった夫は、煙草を吸うことをやめ、代わりに、JUUL(ジュール)を愛用するようになった。JUULとは、今アメリカで爆発的に流行っている、電子タバコのことである。そしてJUULをやるようになってもうすぐ2カ月、未だに再飲酒はしていない。実際、JUULを始めてから、飲酒欲求がなくなったらしいのだ。

 

これは単なる偶然なのかも知れないが、夫がJUULによって飲酒欲求がなくなったと思っているなら、そういう風に自分に暗示をかけ、断酒の助けにして欲しいと思っている。

 

夫が煙草と飲酒の関係性に気付いて来たのは、AAに行き始めてからだった。

喫煙者がマイノリティーになった今の時代、AAでの休憩時間中には、未だ沢山のAA参加者(アルコール依存症者)が外に出て煙草を吸っているらしいのだ。そのことに目を向け、飲酒者は煙草を吸う、または、煙草を吸うから飲酒する、という関係性で、禁煙すれば飲酒することもなくなるのではないか、と安易ながら考えたようだ。

 

実際、アルコールと煙草というのは、深く結びついているような気がする。

今はどうなのか分からないが、少なくとも私が日本在住だった頃は、バーなどのテーブルには灰皿が置いてあり、アルコールを飲みながら喫煙している人が当たり前のように沢山いた。

 

ちなみに、アルコールがある場所の雰囲気が好きだった昔の私が、当時よく一緒に飲みに行っていた女友達は、ほぼ全員が喫煙者だった。そして、私は生まれてこのかた、一度も喫煙したことはない。興味本位で煙草を吸ってみたい、ということさえ思ったこともないので、何が私をそうさせていたのかはよく分からないのだが、やはり根っこにある堅物な性格のせいだったのかも知れない。

アルコールも飲めない、煙草も吸わない当時の私は、もしかしたらそういう場所では少し浮いていたかも知れない。

 

話は戻るが、JUULをするようになってから飲酒欲求がなくなった、と自ら告白して来た夫は、本当に今のところ飲酒欲求を感じていないのだろう。それでも、JUULを始めてから一カ月程経った頃に、一度飲酒欲求に見舞われたことがあったらしいのだが、幸いアルコールを買いに行くこともなく、夫は落ち着きを見せている。

 

これが夫の心理的なマジックなどではなく、もしJUULで飲酒欲求がなくなった人が他にもいるとしたなら、例えばバイアグラが最初は狭心症の治療薬として開発されながらも、後に別の効果があったと発見されて今に至るように、もしかしたらJUULも後々、飲酒欲求がなくなる効果がある、と立証されることがあったりするかも知れない。もしそうなったら、あんな夫でも、JUUL効果の一端を担っているようで、被験者のように世の中の役に立っているかも知れない、と、ちょっと軽い妄想をしてみた。

 

JUULをやり始めて以来、あの重度のアルコール依存症の夫に、目立った飲酒欲求はないらしい。何が夫の断酒を助けているのか本当のところは分からないが、喜ばしいことであることには違いない。

 

夫がJUULを始めたのは禁煙目的であり、最終的な目標は、完全にJUULさえも止めることである。

 

断酒してくれるのなら、禁煙は二の次でいいと思っていた。

それが、禁煙することによって断酒が続いているから、このマジックがこれからも持続するよう、静かに見守っていきたい。

 

 

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夢のまた夢

夫の病気がもし、いつか回復して安定してくれたら、家族みんなで旅行に行きたい。

 

アルコール依存症者と一緒に何かをする計画は、結局最後になって予定が変わることが多い。前日までシラフだったのに、旅行当日に飲酒を始めて計画を中止にせざるを得なくなったり、酷い時には泥酔しながらの旅行になり、結局旅行そのものが台無しになってしまう。それで今までにも何度も失望させられ、その分、皮肉にも、私は娘との二人だけの想い出が増えた。

 

犬達を迎え入れてから、家族での飛行機で行くような遠出の旅行はしていないが、車で行けて、犬達も泊まれるホテルがあるところならどこでもいい。

 

犬達を含めた家族で行ける旅行先として一番現実的なのは、海に行ったり、山でキャンプをしたりすることだろう。これらの場所は過去に犬達を連れて行ったことがあり、家族みんなで過ごすには最高の場所である。そして私達の言う「家族」には、常に犬達が含まれている。

 

人間の赤ちゃん程の重さの、5歳と3歳の女の子の犬達は、常に私達家族の中心にいる。必然的に、私達の旅行先は、犬達が喜び、私達も楽しめるところになる。

そんな家族旅行を普通に計画して、それが実現する日がいつかまた訪れてくれたら嬉しい。

 

もう一つ。

もし、いつか夫の病気が回復したら、家に友人達を招いて、カラオケパーティをやりたい。

 

おとなしい私ではあるが、歌うことだけは積極的である。

J Pop、昭和の歌謡曲、演歌、洋楽、ジャズ、オペラと、何でも任せてくれ!・・・である。

 

アルコールが入らないと歌わない友人達が多い中、私は逆に、アルコールが入ると声が出なくなって歌えない。だから私は昔から、ガンガン、シラフで歌う。(おとなしいはずの私ではあるのだが、カラオケにおいては、水を得た魚状態である。)

 

私が夫のアルコール問題で溜まっているストレスを発散する娯楽は、カラオケをすることである。夫がシラフの時を見計らって家で一人カラオケをし、一人で何時間も歌い、大声を出し、あースッキリした~!となるのである。

 

その間、夫は私の歌になんて関心なさそうに、静かにノートパソコンをいじったりしているのだが、避難できる部屋がいろいろあるにも関わらず、私がいる部屋から出て行こうとしないところをみると、私の『熱唱』を別に迷惑には思っていないのだろう。気がつくと、「私が歌う日本の曲」の鼻歌を何気に歌っている夫に、なんとなく微笑ましくなる。

 

ただ、一人カラオケほど気合いが入らないものはない。友人達とワイワイガヤガヤ歌ってこそ、歌うことを全身で楽しめるのだ。(夫はシラフでは歌わないし、かと言って酔っぱらった夫がマイクを持って歌い出すと、それはそれでウザくてその相手をするのも嫌だから、結局一人カラオケになってしまうのだ。)

 

私の友人が年に数回彼女の自宅でカラオケパーティを開いてくれるのだが、私はそれに必ず参加する。・・・というより、彼女はいつも、私の都合を真っ先に聞いてからパーティの日にちを決めてくれる。みんなで手料理を持ち寄り、私以外のみんなはワインなどを飲み、私は歌いまくり、めったに会わない友人達との時間を楽しむ。

彼女にはいつも感謝をしています。どうもありがとうございます。

 

ただ、私自身が自宅でこのようなパーティを開くことは、やはり無理な話なのかも知れない。時々ウォッカのボトルが床に転がっている我が家ではあるが、基本的には、ウチの敷地内は、言わずもがな、「アルコール禁止」だからである。夫がいない時ならまだしも、夫が家にいる時は、アルコールは一切持ち込みたくない。

 

アルコールなしのカラオケパーティなんて、きっとみんなつまらないでしょうね。

だから、これはきっと私のひとりよがりの夢に終わってしまうだろう。

 

でも、もしいつか夫の病気が回復したら、今はできないいろいろな楽しいことができるようになるんだろうな、と、そんな夢を見て希望につなげている。

これが現実になるかどうかは分からないが、回復の先には、みんなの楽しい笑顔が想像できる。

 

・・・と、気晴らしにちょっと夢を見てみたが、本当にいつか回復なんてするのだろうか?

 

夫のアルコール依存症は、もう既に末期のステージに入っている。

身体的限界が来て、衰弱して体がアルコールを受け付けなくなるまで連続飲酒をし、錯乱状態に陥る程の離脱症状を迎える。そしてしばしの断酒で体調が回復してくると、又、連続飲酒を始める。

これはどうやら、「山型飲酒サイクル」と呼ばれる、典型的な末期のアルコール依存症者のパターンらしい。

 

こんな夫のような末期のアルコール依存症者でも、回復する日が来るのだろうか?

 

頑固な夫の信条により、リハビリに行くこともなく、専門家にも診てもらわず、薬を飲むこともなく、果たして、AAに行くだけで、夫の症状は回復していくのだろうか?

 

そのAAさえも、当初は週5日行くと意気込んでいたものを、今は気が向いた時だけしか行っていない。(予想できたことではあるが。)

 

夫が社会から脱落し、普通の生活が営めなくなってもう丸2年。

怒りと悲しみと苦しみと脱力感に見舞われたこの2年間。

いや、夫のアルコール問題に日々振り回されてきたこの10年間。

私は無駄な時間を過ごしてきたのだろうか?

これから先、1年後、2年後、私達はどうなっているのだろうか?

 

夫の状態、未だ安定せず。

今はただ、ゆっくりと同じような時間だけが流れている。

 

 

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私のこと

私は何故、夫の病気のことを人に言えないのだろう?

 

私は昔から、自分のことを人にペラペラ話すのがあまり好きではなかった。

友人達だけではなく、それは親に対してもそうだった。

自分のことを話さないのは、きっとおとなしい性格のせいなのだろう。

 

今でこそオバチャンになってしまったが、若い頃はそれなりに綺麗な(?)お姉さんだったと思う。

20代の頃は、そこまでする必要もなかったお化粧と体のラインが強調される服装で着飾り、その見た目で「飲める子」だといろんな人に勘違いされ、かつ、見た目と性格のギャップに驚かれることもよくあった。

 

そう言えば、オバチャンになり、身なりが地味になった今でさえも、「飲める子」だと思われることは多い。だから、パーティで「飲めません」と言うと、今でもいろんな人に驚かれる。

 

友人達とグループでワイワイしていても、私はどちらかというと話題の中心ではなく、聞き役でいる方が多かった。特に悩みがあった時などは、仲の良かった友人にのみ、個人的に、一対一でしか話さなかった。

 

積極的で、上手に面白おかしく自分の話ができる友人を、私はいつも「すごいなー」と思っている。それが少し羨ましくもあり、でも自分にはやっぱり人に注目されながら自分のことを話す、というのは好んでできそうもない。

 

私が夫の病気について友人達に言えないでいるのは、そういう元々の性格のせいもあるのだろう。

 

でもそれは、一つの小さな理由に過ぎない。

 

私が夫の病気のことを友人達に言えないでいるわけは、ずばり、その病気が「アルコール依存症」だからである。

 

そもそも、アルコール依存症が病気だと認識している人は多くはないだろう。

 

友人達に話すとしたら、まずこの病気の誤解を解くことから始めなければならない。

そしてこの病気の怖さ、複雑さ、残酷さを分かってもらうことができて、初めて夫の病気を理解してもらえるのだと思う。

 

「アルコール依存症?ただのだらしないアル中なんでしょ?」

 

彼らの認識は、きっとその程度のものでしかないだろう。

 

だから、この病気の誤解を解きたい。

夫のために、少しでも夫の病気を理解してもらえるように、そして、おとなしくて自分のことをめったに語らない私の、「本当の私」と「私の生きざま」を知って欲しくて、それでここに『理不尽な病』を書き綴っている。

 

残念ながら、今はまだ友人達に告白できる心の準備はできていない。

興味本位で家の経済状況等を聞かれるのも嫌だ。

それに、自分の置かれている境遇があまりにも友人達とはかけ離れているため、孤独で秘密を抱えていることが辛くて、今は友人達の前で無理に笑顔で普通のフリをするよりも、一人で過ごすほうが心がラクだ。

でもいつか本当の私を知ってもらえたら、きっと、時折見せる今の不自然な態度も理解してもらえると思う。

 

私は両親にも夫の病気のことを隠している。

でもそれは、彼らに余計な心配をかけたくないからである。正直に話したところで、彼らに眠れない日々を送らせてしまうだけ。自分たちの言葉が通じない遠い異国の地で娘が苦しんでいても、それに対して何もできない親、という風に、両親に苦しんで欲しくない。

 

だから、両親に夫の病気のことはこれからも一切言うつもりはない。

私の苦悩を悲しんで欲しくはない。

 

娘はアメリカで元気で幸せに暮らしている、そう思ってくれたら私は嬉しい。

 

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Insanity (狂気の沙汰)

アルコール依存症の夫と共に暮らしていると、時折どっと疲れが押し寄せて来る。

 

やるせない気持ちに、絶望的になる。

投げやりになり、暴言を吐いてしまう。

怒鳴り過ぎて、声が枯れる。

関わるだけで、気が狂いそうになる。

 

アルコール依存症の夫に、私の立場や苦悩なんて、到底分からないだろう。

夫は「アルコール依存症」という病に、そして私は「アルコール依存症の家族」という病にどっぷりと浸かってしまっている。

 

家族の中にアルコール依存症者がいるとどんな暮らしになるのか、きっと経験者以外には誰も想像はつかないだろう。

誰もが容易に思い浮かべられるような、酔っ払っての暴言や暴力、そんな目に見えるような簡単で単純なものじゃない。

 

その日々は理不尽で不条理極まりない言動の対応にあけくれ、神経をすり減らしていく中で、避けることができたはずの死への恐怖と常に直面させられる。

裏切りと失望の連続は憎しみを生み、もっと精神的で、マインドゲーム的な複雑な要素と感情が入り混じり、アルコール依存症の家族の人格までをも破壊させる、世の常識が全く通じない狂気の世界。

 

私は時々自分が怖くなる。

どうにか理性を保ち、夫を身体的に攻撃することだけは抑えている。

それでも怒りの感情が頂点に達し、夫憎さのあまりに、もし夫を刺してしまうようなことがあったとしたなら、それは間違いなく一回の刺し傷だけでは済まなかっただろう。

そんな恐ろしい妄想がイメージトレーニングのように私の中に定着してしまわないよう、私は意識して理性を保つようにしている。

 

夫のために自分が犯罪者になってしまうことだけは、どうしても避けなければならないこと。

特にDVに厳しいアメリカでは、感情に任せて相手をひっぱたくことさえはばかられる。(それがなければ、夫を何百発ひっぱたいても足りなかっただろう。)

 

夫は飲むだけ飲んで自堕落な生活を続け、どん底まで堕ちていけばいい。

でも私は、夫のように堕ちて行くわけにはいかない。

 

私には娘がいるから。

娘を育てていかなければならないから。

 

堕ちてしまった父親の分を補うかのように、私は母親として、娘に普通の暮らしをさせなければならない。

そういう使命が、私に理性を持ち続けさせる。

 

それでも私は夫に、時折、つい暴言を吐いてしまう。

私は夫を恐れてはいない。

ここにはとても書けないようなこと、人格を疑われてしまいそうなこと、そんな暴言を平気で夫に吐き、やり場のない怒りの感情をぶつける。たとえ酔っ払い相手には無意味な行為であろうとも、誰か(たとえそれが廃人であっても)に自分の感情をぶつけて解放させることは、私には必要なことである。そういう、感情を押し殺さない、ということをすることにより、私はかろうじて夫を刺さないでいられるのかも知れない。

 

思えば、夫も私も感受性が強過ぎるが故に、相手の傷つけ方を熟知しているのだ。

どう言えば最高レベルに相手が傷つくか、お互い分かっているのである。

 

そんな激しいバトルでお互いを傷つけ合い、これが一度は愛し合った夫婦なのかと思ってしまうほどの修羅場を展開させ、心身共に憔悴する。

 

余談ではあるのだが、そんな修羅場を繰り広げても、ちょっと時間を置いて冷静になると、結構普通に仲直りしてしまうものである。それは夫が酔っぱらって記憶をなくしているから、ということではなく、元々のシラフでの夫が、「根に持たない」、「尾を引かない」、「後々まで引きずらない」、というめでたい性格の持ち主だということが関係しているのだと思う。

 

そういう意味では、娘も夫と同じく、「根に持たない」、「尾を引かない」、「後々まで引きずらない」、という性格である。そして私はその真逆の、「根に持つ」、「尾を引く」、「後々まで引きずる」、という性格であり、物事をハッキリと決着させたいという、真面目で正義感に溢れた面倒くさい性格であるから、時にそんな夫の、「ケンカしちゃったけど、まぁいいじゃないか~」という緩い感覚にありがたく(?)助けられて、これ以上の修羅場にはならないのかも知れない。

 

壮絶なバトルなんてしていなかったかのように、普通に笑顔で話しかけてくる夫にイライラさせられつつも、冷静になってきた私にとっては、そういう夫の緩くて根に持たない性格には、かえって救われているのかも知れない。

 

話はそれたが、ここで言わんとしていたことは、おとなしくて人との争いを好まない私が、夫には普通に暴言を吐いてしまうということ。

そして、意識して理性を抑えているからこそ、夫を身体的に傷つけないでいられている、ということ。

 

夫を刺すだなんて物騒なことを書いてしまい、さぞかし恐ろしい女だと思われたかも知れないが、長年アルコール依存症に関わっていると、ここまで追い詰められて心が病んでしまうものなんだ、という極端な例としてあげました。

 

もちろん私は常識人であり、人の道に外れたことをするつもりはさらさらない。

 

ただ、よくTVのニュース等で流れたりする、家族間での怨恨や絶望から引き起こされた恐ろしい犯罪(例えば、介護疲れによる殺人や、ひきこもりである成人した子供を親が殺めてしまう、等)や、「あの人がこんなことをするはずがない!」と周りから驚かれたりする犯人の心情について、普通の人には理解できないであろうことが、私には理解できてしまったりすることがあり(その犯罪の内容にもよるのだが)、そこまで感情移入できてしまうほどの、自分が背負っている苦悩の根深さというものは感じている。

 

そう思うと、アルコール依存症に限らず、家族の中に病気の人、特に精神疾患を抱えている人がいるということは、どんな病気の家族でも、それぞれに壮絶な日々に苦悩し、心が壊れてしまうことがあるのだ、とやるせなくなる。

 

私は本来、こんな人間ではなかった。

狂気や憎しみなんて、私には無縁だった。

 

夫が徐々にアルコール依存症になっていったにつれ、私もまた、徐々に、私が私ではなくなっていった。

 

 

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