理不尽な病 ~アルコール依存症の夫と暮らして~

アメリカ人の夫との結婚生活15年。夫のアルコールの問題に悩まされて10年。アルコール依存症だと認識して約8年。健やかなる時も病める時も、死が二人を分かつまで、私はこうして地獄に付き合わなければならないのだろうか…? 遠い日本の親にも友達にも言えないこの苦しみを、どうかここで吐き出させて下さい。(2018年5月)

Rehab(リハビリ施設)

アメリカでのアルコール依存の治療は、リハビリ施設(Rehab)へ行くことが最後の砦だろう。

 

日本ではアルコール専門病院なるものがあるようで、アルコール依存症者が3カ月程入院をしてそこで治療を受けたり、アルコール依存症についての勉強をするようなのだが、アメリカでは、病院に入院するのではなく、リハビリ施設に入ることになる。

 

夫も何度か、離脱症状時にアルコール性てんかん発作によるER行きと入院をしたことがあるのだが、どれも3泊~5泊ぐらいして身体が回復すると、そこで退院となった。「この後はリハビリ施設に行った方がいいですよ。」と、看護師からリハビリ施設の情報をいくつかもらい、そこで終わり。(アメリカは医療費が高額なためか、すぐに退院させられる。)

 

初めて入院した時は、退院直後に素直にリハビリ施設へ行ったものだが、ヘロイン中毒のルームメイトが怖くて一睡もできず、一泊しただけで夫はすぐに帰って来た。

 

リハビリ施設も、アルコール専門のリハビリというより、大抵は薬物依存者も混ざった施設なので、日本のようにアルコール専門の病院があり、そこに何カ月も入院させてもらえるのは羨ましく思う。(この広いアメリカのどこかに、もしかしたらアルコールだけのリハビリ施設があるのかも知れませんが。)

 

リハビリ施設に入ったとしても、大体4週間 (28 Days) 前後でその施設から出されるようである。(期間については、病状やリハビリ施設によります。)

 

リハビリ施設も、自分の医療保険会社のネットワーク内のものなら保険でカバーされるのだが、それも保険内容により自己負担額は異なり、Co-pay (基本の自己負担額)やDeductible(上限の自己負担額) を払って後は全額保険が適用されたり、または費用の何%かしか適用されない場合もある。また、そのリハビリ施設が自分の医療保険会社のネットワークにない場合は、その費用は全額自己負担となる。(保険のプランによります。)だから、たとえどんなに評判のいいリハビリ施設があったとしても、もし自分の医療保険が使えない施設なら、泣く泣くその施設に入ることをあきらめるか、もしくは高額な医療費を自費で払うことになる。

 

これはリハビリ施設に限らず、病院、歯医者、全ての医療機関に当てはまる。

治療を受けて保険が適用されるのは、その保険会社が提携している医療機関のみ。よって、保険会社が変わる度に、その保険が使える病院に転院することなど、普通によくあることである。日本のように、健康保険証を持参してどの病院・歯医者に行ってもいい、などという素敵なシステムではないのだ。

 

ちなみに、保険内容にもよるのだが、医療保険だけでは、通常、歯医者や眼科はカバーされない。歯科保険と眼科保険は、医療保険とはまた別物であり、別途また契約する必要があるのだ。そして医療費と同じく、これらの保険料(特に医療保険)もかなりの高額であることは言うまでもない。

 

リハビリ施設についてだが、低所得者用に無料で提供されている場合もあるようなので、それは住んでいる地域や州に問い合わせてみるのがいいかと思う。

 

さて、あの一泊以来、夫はリハビリ施設にお世話になることなどなかったのだが、一度だけ、義父と私の強い説得により、夫に別のリハビリ施設へ電話をさせたことがあった。(リハビリ施設への問い合わせは、通常は依存症者本人からしか受け付けておらず、たとえ家族でも、その施設の詳細は電話では教えてもらえません。)

 

その電話で夫が確認した、夫にとって大事なこと。

 

「アルコールだけでなく、薬物依存者もいますか?」

「個室はありますか?」

 

・・・情けなさ過ぎて、私は呆れてしまった。

どんなにルームメイトが嫌でも、そこを我慢して治療に専念することが一番やらなければならないことなのに、当時の夫は、「自分の個室が持てるなら、(自分のためではなく)家族を納得させるためにリハビリ施設に入ってもいい。」というスタンスだった。結局私達の医療保険がカバーする施設に、夫が希望するような条件のものがなかったため、夫はリハビリ施設行きを回避した。

 

私の住む州では、家族が強制的に依存症者をリハビリ施設に入れることはできない。(州によっては、様々な条件のもと、それが可能なところもあります。)

 

インターベンション(Intervention)という仲介者によって、依存症者をリハビリ施設に入るよう説得してもらえるシステムはあるのだが、義父母も私も、夫のように気難しくて頑固な人には効果はないと思ったため、利用したことはない。インターベンションはリスクが高く、失敗すると失うものが大きいのだ。(たとえば、家族は飲酒者の酒害の数々を上げて自分達の気持ちを述べ、「だから私はあなたにリハビリ施設に入って欲しい。入らないのであれば、私はあなたと離婚する・親子の縁を切る。」などと伝え、それでリハビリ施設に入らないのであれば、そこで実際に離婚・親子の縁を切らなければならない、というもの。)夫の性格には合わないシステムだと思ったので、私は利用したことはないのだが、そのことを後悔したことはない。

 

今になって思うこと。

あの頃の夫があのままリハビリ施設に入ったとしても、結局はまた飲み始めていただろうな、ということ。

一番最初に一泊しただけのリハビリ施設も、たとえあのままあそこにいたとしても、絶対に断酒はできなかっただろうな、ということ。

 

リハビリ施設にいたからといって、簡単に断酒ができるわけではないのだ。

その時はアルコールが手に入る世界から隔離されているわけだから、飲まないでいることは簡単なこと。問題は、施設を出てからである。

いつでもどこでもアルコールが手に入るという環境で、いかに断酒を継続されていくかということが大きな課題。

 

今夫の断酒が続いているのは、この今までの数々の飲酒や離脱症状、そしてそれによる地獄の日々を経験してきたからなのだと思っている。ここまで堕ちて、初めて夫は本気で断酒への意欲を強くしたのだと思う。もちろんこの病気は意志の強さなど関係ないものだが、断酒をしなければならない、と夫に決意をさせた数々の壮絶なエピソードは、今の夫の断酒を助けていると思っている。

 

どうか、夫の断酒がこのままずっと続きますように。

そう、心から願わずにはいられない。

 

 

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アメリカのアルコール事情

日本はアルコールに、非常に寛大な国である。

それに比べ、アメリカではかなりアルコールに関する規制が行われており、渡米した当初は驚いたものだ。

 

アメリカでは、21歳から飲酒することができる。

TVでのアルコールのコマーシャルはなく、街中にはアルコールの広告もない。アルコールの自動販売機は存在せず、リカーストア(酒屋)かビールが買える店に行かなければアルコールは買えない。買う際には年齢確認のためにIDカードの提示を求められる。

 

州によって異なるのだが、普通の食料品店やコンビニでアルコールは売られていない。(売っている州もあります。)私の住む州では、ここ何年か前から食料品店でもアルコールを売り始めたのだが、それ以前は、食料品店でアルコールなど買えなかった。

 

ちなみに、アルコールを販売するには、どの店もアルコールを販売できるライセンスが必要である。

 

レストランでも、アルコールを提供できる許可を得ているお店は、その許可証が大きく店内に張られ、メニューにアルコールが載っている。しかしながら、その許可を得ていないレストランでは、アルコールを売ることができず、その代わりに、BYOB (Bring Your Own Beer/Bottle/Booze – 酒類は自分で持参して下さい)で、お客さん達は自分達でアルコールを調達し、店内に持ち込むことができる。

 

公共の場、たとえば道端や公園等でアルコールを飲むことが禁止されている州は多いだろう。

日本の桜の季節のお花見など、風情があってとても楽しい文化だな、と今となっては懐かしく思っている。

 

四六時中、食料品店やコンビニ、自動販売機等でアルコールが手軽に手に入り、どこでも自由に飲める日本に比べると、アメリカでのアルコールの扱いは非常に厳しいものではあるのだが、ここまで規制されていても、アメリカでもアルコール依存症になる人達は後を絶たない。

 

しかしながら、日本のサラリーマン達のように、仕事帰りに同僚と居酒屋に飲みに行く、などという毎日のような習慣はなく、強制的に飲まされる場というものはないかも知れない。

 

アルコールだけではなく、たばこや成人向けのものも同様に、日本以上に扱いは厳しく、そういう意味では、アメリカは自由で適当なようでありながら、そういう線引きは日本以上にきちんとしている。

 

もし私の夫が日本に住んでいたら、きっとアメリカ以上に飲む機会は多く、もっと早くにアルコール依存症になっていただろう。そして、きっと今以上にアルコールの誘惑に悩み、断酒の妨げになっていたと思う。そしてそんな中で断酒を継続されている日本在住のアルコール依存症の方々は、本当に大変だと思いますが、そんな彼らのことも、私の夫のことも、断酒がずっと続くよう、これからも応援しています。

 

(州によって法律が異なるため、ここに述べたことは州によって事情が異なる、ということを再度断っておきます。)

 

 

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希望の象徴 (Wreaths)

私が高校時代に英語と同じくらいに、いや、もしかしたらそれ以上に得意としていた教科は、美術である。

 

私はクラフト作りが好きだ。

作るものはその時によって違うのだが、一度ハマると、延々と作り続けてしまう。

 

娘を出産してからハマったものは、赤ちゃんのオモチャ作り、ビーズのアクセサリー作り、クレイでのネックレス作り、編み物、そしてキャンバスに絵を描くこと。

一度始めると、集中していくつもの作品を作る。

 

そんな私が一番最近ハマっていたのは、ドアなどに飾るリース(Wreath)作りである。

夫の状態が一番悲惨だった2017年の1年間で、私は計20個のリースを作った。

 

当時の私は毎日、仕事に行くことで夫と一緒にいるストレスから開放されていたのだが、家にいる時、どこかに行くあてもない時、夫が酔っぱらい野郎に変貌すると、私はただひたすらリースを作り続けた。

夫の相手をしないように、心を落ち着かせるために、何かをして気を紛らわせるために、私は沢山のリースを作った。

 

季節や季節のイベントごとのリース、貝殻や綺麗な花をあしらったリースなど、どれも美しく、可愛く綺麗に仕上がっており、友人達にも好評だった。

でもこれらのリース達は、当時の私の、悲しみと苦しみの象徴である。

 

そして酔っぱらっても暴れたり物を壊したりすることがなかった夫からは、幸いにも、リースを壊されたことは一度もない。

 

美しく仕上がっているからこそ、私の目には悲しく映る。

当時のいろんな想いが、そのリース一つ一つに込められている。

 

リースをもらって下さった方々、ごめんなさい。

そのリースには、到底話すことのできなかった悲しいストーリーがあります。

 

私のリースは、悲しみと苦しみの象徴。

でも、辛く苦しい時にも、気をしっかり持って苦難を乗り越えていくんだという、そんな強さと希望の象徴でもあるのだと、最近そんなことを思い直してみた。

 

 

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