飲みの誘い
飲酒は、アルコール依存症でない普通の人達にとっては、ごく当たり前で楽しいことなのだということは、私にもよく分かっている。
だから、そういう人達からの飲みの誘いを断ることは、アルコール依存症の夫を持つ私としては、複雑な心境になる。
日本から来たばかりの駐在員の男の子が、仕事中、わざわざ私の席にやって来てこう言った。「Hopeさん(←私の名前)、今度XX君と、Hopeさんと一緒に飲みに行きたいねって話してるんですよ。」
アメリカ人の社交辞令を聞き流すことには慣れている。(アメリカ人は、日本人が思う以上に社交辞令を言うので、彼らの言う「〇〇しよう!」、「〇〇するね!」は、挨拶程度に思っている方が賢明である。)
でも、私より一回りも年下のこの日本人の彼は、わざわざ私がいる部屋に、そのことを言うためだけにやってきたのだ。(アメリカのオフィスは広いので、日本の会社でいうところの偉いオジサマ方が使うような個室を、私は一人で使っている。)
だから、この男の子は社交辞令などではなく、本気で飲みに誘いに来たということは明白であろう。
私は会社では努めて明るく振舞っているから、「私と飲んだらきっと楽しいとこの男の子に思われているんだろうなぁ・・・。」と、そんなイメージを持たせてしまったこの彼に、申し訳なく思ってしまった。
アルコールがあるのが当然なパーティの場で、友人や初対面の人に「私はアルコールは飲めません」と言うのと、アルコールとは関係ない場で、明らかに「飲み」に誘われた時に「私はアルコールは飲めません」と言うのとでは、気持ちの重さが違う。
前者の場合は、私がそこにいるのは別にアルコールを飲むことが目的ではないし、既にその場にいるわけだから、「飲めません」と躊躇せずに言える。
でも後者の場合は、「明らかにアルコールを飲むことが目的」なので、そういう楽しい気持ちで誘ってくれているのに、相手の期待を裏切ってしまうな「飲めません」という否定的なことを言うことには、なんとなく躊躇してしまうのだ。
この男の子に限らず、みんな、私にアルコールに関するこんなに深い事情があるだなんて、思ってもいないだろう。私のことは普通に飲める人だと思っているだろうし、夫がアルコール依存症であり、そのことで私が毎日苦しんでいるだなんて、誰もそんなことなど想像だにしていないだろう。
そういう事実をオープンにしていないし、「普通の人」に見られたことで、「ああ、私、普通の人に見えるんだ」と、一瞬安心してしまい、その期待に沿うために、動じる気持ちを見透かされないように、「うん、行きましょう!」とつい言ってしまった。
そして、少し心が痛んだ。
アメリカ人がするような社交辞令なら、私もこんなに心が痛んだりせず、サラッと返答して、悩むことなくここで終わりだっただろう。でもこの男の子は、きっと近いうちに、飲みに行く具体的な話をしに私の席にまたやって来ると思う。
私が「本当はアルコールを飲みたいとは思っていない」こと、そんなことを言わないまでも、「アルコールを受け付けない体だから、飲みに行っても、私は飲みませんよ」、ということ、ましてや「アルコール、嫌いなんです!」などということを正直に言えなかったことは、私に罪悪感をもたらせた。
「夫がアルコール依存症で・・・」と言うには、私はまだそこまで勇気が持てなかったし、そこまで個人的なことを会社の人に言う必要もないと思った。また、それを言うことによって、相手に引かれて気を遣わせてしまうことも避けたかった。
アルコール依存症でない私が、飲みの誘いに対してこれほど複雑な思いを抱いてしまうくらいだから、アルコール依存症の方々は、飲みの誘いに対しては、きっと私以上に複雑な思いを抱いていることだろう。そして、それを断ることもきっと簡単ではないと思う。
飲んではいけない体である、ということを説明しても、この病気のことを知らない人は、そこまで深刻なことだとは思ったりしないだろうし、もしかしたら気軽に飲酒を勧めてくるかも知れない。そういう誘惑と戦うことも、アルコール依存症者にとっては、避けられないジレンマだと思う。
もしこの男の子が、飲みの具体的な話をして来たら、期待などさせてしまうのは大変申し訳ないから、「飲みっていうより、ご飯ってことでいいですか?車だし。」とサラっと言ってみよう。そして、私がシラフでも楽しんでもらえるように、明るくその場を盛り上げよう。(昔から飲み会では、飲まないことでみんなに嫌な思いをさせないように、飲みの雰囲気に合わせて楽しく喋るという気遣い?はしていたものだ。)
・・・と、いろいろ考えてこんなに悩んだ挙句、これで結局具体的な話が出て来なかったら、早合点したオバチャンのたわごとだと笑って下さい。まぁそれはそれでいいのですが、「プライベートの友人ではない誰かと、付き合いで飲むということ」について、久々にいろいろと考えさせられました。
そして、こんなオバチャンでも一緒に飲みたいと言ってくれたことが、なんか嬉しくもあり、でも私は飲みたいとは思っていないから相手に申し訳なくもあり(それは決してこの男の子のせいではなく、私の事情のせいなのだが)、そして夫がアルコール依存症で苦しんでいるのに、私は笑顔で(その場しのぎの返答だったとしても)飲みにいくことを肯定してしまった罪悪感で、複雑な気持ちになってしまった。
人を魅了する「アルコールの力」って、いい意味でも悪い意味でも、悔しいけどやっぱりすごい。あいにく、私にとっては悪い意味でしかなくなってしまったけれど、大抵の人達にとっては、アルコールとは、人間関係を円滑にさせる、楽しい飲み物なのだと思う。
そういうことを久しぶりに感じ、「アルコールを飲むのは当たり前のことである」という価値観と、それだけアルコールの怖さがあまり世間に知られていないという現実に、益々、家族の中にアルコール依存症者がいる、ということの肩身の狭さと孤独感を感じてしまった。
いつか、「夫がアルコール依存症(の回復者)だから、アルコールとは関わりたくないんです。」と明るくサラっと言える日が来てくれたらいいなと思う。私の性格上、そういうことを私自身が明るく言えないうちは、問題が深刻であるということであり、問題が深刻なのに、笑顔を作って明るくそんなことは言えないのだ。
もし躊躇せずにそれを言うことができたなら、私自身も少しは、「アルコール依存症の家族という病」から回復してきている、という風に思ってもいいのかも知れない。
AA(アルコホーリクス アノニマス)
アメリカには様々な宗教があるが、夫は無宗教であり、atheist(無神論者)である。
夫の父や妹もatheist、そして夫の母、兄は敬虔なクリスチャン。片や神を信じていない父、片や神を信じている母、で、価値観の異なる両親が離婚に至ったのもうなずけるような話である。
そういう夫は、神だか、それに似たようなものが出てくるAAに参加することに、全く積極的ではなかった。
私はAAのことはよく分からないのだが、私も一度参加したことがあるAl-Anon(アラノン/アルコール依存症の家族の会)でも、何やら神のことを言っていたような気がする。ちなみに、信仰している宗教を持たない私は、夫と同じatheist の部類に入るだろう。(日本人の私は、大まかに言えば、仏教ということになるのかも知れないが。)しかしながら夫の親戚はクリスチャンが多いので、クリスチャンのイベントであるクリスマスやイースターは、私達も一緒にお祝いしている。
私が数年前にAl-Anonに行った時は義母も一緒だったのだが、酒飲みの義母はAl-Anonなどではなく、自分こそAAに行くべきなのに、アルコール依存症の家族という被害者面をしていたことで、私は不快な思いをしたことがある。グループによるのかも知れないが、私が行ったAl-Anonは全体的に悲しみや苦しみ、痛みの『負のオーラ』が漂い、とても精神的に疲れてしまった。だから、もうAl-Anonに行きたいとは思わなかった。本当は夫に暴言を吐いてしまうより、Al-Anonで自分の思いをぶつけた方がいいということは分かっているのだが、そういう過去の苦い経験により、私はそれ以来Al-Anonには行っていない。
こんな私が夫に対してAAに行って欲しいと願うのは自分勝手なことかも知れないが、何十年も断酒している方々が、未だに定期的にAAに顔を出しているという事実に、やはりAAの効果を信じるべきだとは思っている。
この夏、夫は一時、集中的にAAに通っていた。
ジーザス(神)の話をされても気にしない、そんな風に、夫は今まで否定し続けていたAAに通い始めた。
そんな夫がAAから足が遠ざかってしまったのには訳がある。
AAに行くと、アルコールのことばかりを考えてしまい、かえって飲みたくなるというのだ。
断酒して1年になるAA仲間が「飲みたい・・・。」と毎回涙を流して訴えるその姿を見て、自分もそれに感化されてしまい、それで何度かAAの帰りにウォッカを買ってしまったのだ。
もう私が何を言ってもダメだった。
AAに行ったら飲みたくなるから行かない方がいい、そんなことを訴える夫は、せっかくできた断酒仲間からも遠ざかり、AAに行くことをやめた。
今はJUULのお陰で断酒ができていると思っている夫でも、この先、何があるか分からない。再飲酒がある可能性は全くゼロではないし、むしろ、限りなく100%に近い確率で、早かれ遅かれ、夫は再飲酒する可能性の方が高いだろう。(そう思うことで、再飲酒時のショックを和らげようとしているのもある。)そうなったら、夫はまたAAに戻って行くかも知れない。でもそれはそれでいいと思っている。私だって、いつかまたAl-Anonに足を運ばざるを得ない日が来るかも知れない。
もう、何が正しくて何が正しくないのか、私には分からない。
断酒方法も、人それぞれなのかも知れない。
夫は何年も時間を無駄にして、試行錯誤しながら、自分に合った断酒方法を探っている。
夫の断酒方法
夫の断酒が続いている。
信じられないことに、あの重度のアルコール依存症の夫が、2カ月近くもアルコールから遠ざかっている。
心配していた「35日の壁」もようやく乗り越え、今は一日一日を、どうにかサバイブしている。
リハビリ施設にも行かず、専門家の助けも得ず、断酒の薬も処方してもらわず、一時積極的に行っていたAAにも行かず、こんなに性格が難しい夫は、やっと自分に合った断酒方法を見つけたようだ。
あの夫が、断酒には不可欠だと言われている外部からの助けを得ずに、2カ月近くも断酒が継続できているということは、今までの経緯を振り返ると、奇跡に近いものがある。
夫に一体、何が起こったのだろうか?
これが断酒の助けになっているかどうかは分からないのだが、喫煙者だった夫は、煙草を吸うことをやめ、代わりに、JUUL(ジュール)を愛用するようになった。JUULとは、今アメリカで爆発的に流行っている、電子タバコのことである。そしてJUULをやるようになってもうすぐ2カ月、未だに再飲酒はしていない。実際、JUULを始めてから、飲酒欲求がなくなったらしいのだ。
これは単なる偶然なのかも知れないが、夫がJUULによって飲酒欲求がなくなったと思っているなら、そういう風に自分に暗示をかけ、断酒の助けにして欲しいと思っている。
夫が煙草と飲酒の関係性に気付いて来たのは、AAに行き始めてからだった。
喫煙者がマイノリティーになった今の時代、AAでの休憩時間中には、未だ沢山のAA参加者(アルコール依存症者)が外に出て煙草を吸っているらしいのだ。そのことに目を向け、飲酒者は煙草を吸う、または、煙草を吸うから飲酒する、という関係性で、禁煙すれば飲酒することもなくなるのではないか、と安易ながら考えたようだ。
実際、アルコールと煙草というのは、深く結びついているような気がする。
今はどうなのか分からないが、少なくとも私が日本在住だった頃は、バーなどのテーブルには灰皿が置いてあり、アルコールを飲みながら喫煙している人が当たり前のように沢山いた。
ちなみに、アルコールがある場所の雰囲気が好きだった昔の私が、当時よく一緒に飲みに行っていた女友達は、ほぼ全員が喫煙者だった。そして、私は生まれてこのかた、一度も喫煙したことはない。興味本位で煙草を吸ってみたい、ということさえ思ったこともないので、何が私をそうさせていたのかはよく分からないのだが、やはり根っこにある堅物な性格のせいだったのかも知れない。
アルコールも飲めない、煙草も吸わない当時の私は、もしかしたらそういう場所では少し浮いていたかも知れない。
話は戻るが、JUULをするようになってから飲酒欲求がなくなった、と自ら告白して来た夫は、本当に今のところ飲酒欲求を感じていないのだろう。それでも、JUULを始めてから一カ月程経った頃に、一度飲酒欲求に見舞われたことがあったらしいのだが、幸いアルコールを買いに行くこともなく、夫は落ち着きを見せている。
これが夫の心理的なマジックなどではなく、もしJUULで飲酒欲求がなくなった人が他にもいるとしたなら、例えばバイアグラが最初は狭心症の治療薬として開発されながらも、後に別の効果があったと発見されて今に至るように、もしかしたらJUULも後々、飲酒欲求がなくなる効果がある、と立証されることがあったりするかも知れない。もしそうなったら、あんな夫でも、JUUL効果の一端を担っているようで、被験者のように世の中の役に立っているかも知れない、と、ちょっと軽い妄想をしてみた。
JUULをやり始めて以来、あの重度のアルコール依存症の夫に、目立った飲酒欲求はないらしい。何が夫の断酒を助けているのか本当のところは分からないが、喜ばしいことであることには違いない。
夫がJUULを始めたのは禁煙目的であり、最終的な目標は、完全にJUULさえも止めることである。
断酒してくれるのなら、禁煙は二の次でいいと思っていた。
それが、禁煙することによって断酒が続いているから、このマジックがこれからも持続するよう、静かに見守っていきたい。