被害妄想
アルコール依存症者は、泥酔時に身近な家族に暴言を吐き、時として被害妄想に落ち入って家族を責め立てるようなのだが、私の夫も例外ではない。
私がよく夫の泥酔時に責められたことは、「お前が自分と一緒にいるのは、お金目当てなんだろう!」というもの。
はぁ!?
・・・である。
何でそんな発想になるのか、何でそんな風に責められなければならないのか、私はあっけにとられてしまった。
私がそんな人間でないことぐらい、夫が一番分かっているはずである。
別に大金持ちというわけでもなければ、ましてや何で無職の夫と一緒にいることが金目当てなのか?
家のローンや生活費を夫自身が払っているからそう思うのか、それともこんなに堕落した自分を愛してくれているわけがないと思って、適当な理由をつけて私を責めるのか、アルコールで狂った脳の思考回路に、私は時々戸惑う。
こんな時には、酔っぱらいとはまともに相手にしない方がいい。
それで無視をすると、今度は何故無視するのかと責められ、そんな夫の側にいることが苦痛で、夫から離れると、今度は何故自分から逃げるのかと責められる。暴力はないとはいえ、こんな精神的な暴力に、私は疲れ果ててしまった。
それでいて、まともに歩けない廃人になり、離脱症状ではその苦しい壮絶な光景を見せられ、助けを求められる。
家族は、まともな精神状態でいられるわけがないだろう。
あんな狂った日々には、もう二度と戻りたくはない。
Fragile
心が折れそうになる。
本当に、独りなんだなって。
誰も助けてくれないんだなって。
人に期待してはいけないのだが、この苦しみを、独りで抱えていることが辛い。
頼りにならない義父母。
夫の病に関わりたくない義兄と義妹。
彼らはただの静観者。血は繋がってはいても、他人事。
それが分かるから、義兄にも義妹にも、私から夫についての話はしない。
されても返答に困るだろうし、無視されるのも嫌なので、自分からは言わない。
とは言っても、向こうからも聞いても来ないのだが。
だから義母にそれとなくお願いしてみた。
「夫に精神科で断酒補助の薬をもらうように、義兄から言ってもらって下さい。」
義兄はあれでも精神科医。
そして、弟である私の夫の病に対して、親身になってくれたことなどない。
今までに何度か切羽詰まって助けを求めた時があったのだが、いずれも見事に無視された。
離脱症状についても、「演技をしてるんじゃないか?」と義母に言っていたらしい。
そしてそれを真に受け、義母も「あの子の離脱症状は、構って欲しくて演技してるんじゃないの?」と私に聞く始末。
全く、この母親にしてこの息子あり。
そもそも、夫の離脱症状に立ち会ったこともない義兄に、それが演技じゃないか、などと言って欲しくもない。
私が彼の患者だったら最低のReviewを書き、こんな医者とは二度と関わりたくない。
最後に義兄にテキストしたのは、ちょうど2年前の今頃だった。「夫が無職になってもう7ケ月です。夫は専門家に助けも求めず、状態がどんどん悪化していっています。ただただ飲み続け、泥酔し、ゾンビのようになり、離脱症状で苦しむことを繰り返しています。義母も義父も、自分達には何もできないと言っています。私も本当に途方に暮れていて、心がどんどん病んでいっています。どうか、夫に電話して話をしてやって下さい。」等々、かなり切羽詰まったテキストを送った。
それに対する義兄からの返信はなかった。
完全に無視されている私。それでも、小さな望みをかけて、私は義兄に久しぶりにテキストしてみた。「どうか、夫に精神科で診てもらい、断酒補助薬を処方してもらうことを勧めてやって下さい。」義兄からは以前、自分の患者でない弟に、自分からは薬の処方はできないと言われていたため、せめて精神科医として、夫を精神科医に診てもらうことを勧めて欲しかった。
義母にも一応伝えた。「義兄に、精神科で断酒補助薬をもらうことを夫に勧めてもらうよう、お願いしました。」そしてそれに対する義母からの返信。
「Good!」
なぁ~~~にがグッドだぁ!?あなたは、私が何度も義兄にそう伝えて欲しいとお願いしても、結局義兄に言ってもくれませんでしたよね!?口では「言っとくわ」と言いながら何もせず、私が自分で伝えたと聞いて、明るく「Good!」だなんて、相変わらずマイペースで空気が読めないというか、そういう小さなことで私は義母にイライラさせられる。
義兄から、珍しく私宛にすぐに返信が来た。
断酒補助薬は、精神科に行かなくても、ファミリードクターでも処方してもらえるはずだ、と。
(前回の健康診断で処方してもらえなかったから、精神科で、と思ったのだが。。)
知らせてくれるのはありがたかったが、そういう話を、何故夫にしてくれないのか理解に苦しむ。義兄も夫も、決して仲が悪いわけではない。ただ、アルコール問題については、触れてはならないトピックだとでも思っているのか、彼らの話す会話の内容は、それに無関係なことばかり。夫がその話題を避けるのは分かるのだが、義兄まで避ける必要はないだろう。
精神科医として、兄として、夫に治療を受けることを説得してくれれば私も大変心強いのだが、彼にはそういう、喧嘩してでも心からぶつかっていくというような、そんな夫への兄弟愛が感じられない。義兄はおとなしい人なので、そういう熱いことはしない人なのだろうが、それでも「おとなしい性格」というのは関係ないだろう。私にはやはり、義兄は面倒なことには関わりたくないのだ、という風にしか思えない。そしてそれは、義妹にも言えている。
そもそもアメリカ人は個人主義であり、人との境界線がきちんとあるため、人の問題に他人は首を突っ込まないものである。それは家族間でも同様であり、家族でも「本人に向かって本音を言わない」ことはよくある。
例えば、日本人は友人間でも家族間でも、「ちょっと太った?」「ちょっと痩せた?」などという外見に関する話題はよく出てくると思う。家族間なら尚更もっと踏み込んで、「太ったねー。もっと痩せないとダメだよー!」などとズケズケと言って来る。アメリカ人はそういう個人の外見や内面について、友人にはおろか、家族にさえも、本人に対してネガティブなことは言わない。心で思っていても言わない。言うなら、本人がいない所で、別の人にそれを言う。「本人にはいい顔をして、裏ではその人を批判する」ことは、家族間でもよくあることである。
そういう国民性ゆえなのか、私の義母は、息子である私の夫への厳しい批判を私には言うものの、夫本人の前では決してそれを言わない。それを夫本人に言ってやってよ!と思うのだが、彼らのそういう上辺だけの態度にも、なんだか慣れてしまった。
よって、家族でも、その人が内面に抱える問題に踏み込んで本人に直接言わないということを踏まえると、義兄や義妹の夫への態度は、ある意味、正統なアメリカ人がやりそうなことであり、私もそれに対していちいち腹を立てるべきことではないのかも知れない。
義兄は、夫に連絡して、薬を飲むことを勧めてくれるだろうか?
今更彼に期待などしてもいないが、苦しい時、心が折れそうな時、少しでも夫に近い周りの人間が歩み寄り、夫を助けようとしてくれたら、それだけで私の気持ちが少し楽になる。
文化が違うこの国でアルコール依存症に関わることは、家族からのサポートという意味で、家族が関わろうとしてくれないから、余計に孤独を感じている。
非道な心
私は自分がする夫への非情な対応に、自己嫌悪に陥る時があった。精神が病んだ末にやってしまったことだとはいえ、とても心がある人がすることだとは思えないことをしていた。苦しむ夫を無視したり、助けずに放置したり、気にかけてあげなかったり。これらは本来の健全な自分の姿ではなく、魂を悪魔に売り渡してしまったような心境になった。
ああ、私はこんなに冷酷な人間になってしまった。
心がなくなってしまった。
鬼になってしまった。
そんなことを思い、でもだからと言って、次から夫に優しくしようとも思わなかった。
それほど、私の心は病んでいた。
でも後から知ったことなのだが、世話を焼かないこの対応は、実は間違えではなかったということ。周りから見たらきっと理解もされず、冷酷に見えるかも知れない。でも、依存症者の世話をしない、ということこそが、家族がしなければならない正しい対処法だったのだ。それが分かって、私は少し心が救われた。そんな知識がなくても、無意識に夫の世話をしなかったのは、こんな堕落した夫の存在を、自分の中から消し去っていたから。
隠しているであろうボトルを探さない。ボトルを見つけても触らず、捨てない。飲みかけのグラスがあっても、中身をシンクに流さない。それらを私の視界に入れず、いちいちイライラしない。そこにないものだとして、夫共々、その存在を消し去る。飲むなら勝手に飲んでくれ。でも飲むなら私達には近づかないで。無意識にやっていたこれらのことは、夫と少しでも関わりを持ちたくなかったからなのだが、これらは、酒害の末期状態だったからこそ、怒りと諦めと絶望から自然に出た、無関心にならざるを得なかったからこその対応だったのだろう。
ちなみに、「世話をしないのが正しい対応」と言われるのは、世話をすることにより、依存症者に更なる飲酒の機会を与えてしまうから。泥酔して自分がしでかした、本人が覚えてもいないようなことを、シラフの時にちゃんと現実に起こったことだと分からせるため。家族が尻ぬぐいをすることで、問題の大きさが本人には分からなくなるため。依存症者には自分の責任を自分で取らせ、家族は、依存症者がしでかした問題に、関わってはいけないのだ。
そのことを踏まえ、もっともらしい言い訳をして、自分を納得させてみる。
「離脱症状で、夫の世話をしなくて正解だった。何故なら、優しく介抱することにより、”自分の妻は優しく介抱してくれる。だから離脱症状に耐えられる。だからまた飲酒してもいいんだ。だって離脱症状が起きても、妻がまた優しく介抱してくれるから。”と、夫を安心させ、飲める環境を作っていただろうから。」
そう思うことで、自分の非情な行為を正当化してみる。
実際、私が離脱症状で下手に優しくしなかったことにより、夫は肉体的苦痛の他に、見捨てられたという孤独感と絶望感を味わい、もう二度と飲みたくない!という決意を何度も固めていた。もちろん、そんな決意もすぐ崩れて再飲酒していたのだが、甘やかされた末に再飲酒するよりは、まだマシであろう。
家族は、依存症者がしでかした問題に関わってはいけない。
だから、世間の常識とどんなにかけ離れていようが、家族は依存症者の世話をしてはいけない。そのことで家族はきっと、世間から非難を受けることもあるだろう。そしてそれでより一層、世間から孤立してしまうこともあるだろう。それを分かっていても、心を無にして、依存症者を突き放すくらいの気持ちで対応していかなければならないのだ。
私が夫を無視して放置していたのは、いちいち世話を焼いていたら私の精神が持たず、また、あんな夫の為に世話など焼きたくなかったから。泥酔時に酷い扱いを受け、離脱症状で自分が苦しいからとすがって来られるのは、私にだって感情があるし、フェアじゃないと思ったから。アルコールを捨ててもどうせまた夫は買いに行くだろうし、そのことで怒鳴られるなんてまっぴらだから。だから、依存症者に対する正しい対応を心がけたというより、私は、私自身の精神衛生上の為に、何も感じないようにしていた。だから夫のアルコールを無視し、夫の世話などしなかった。
よく、多重人格者がそうなってしまう過程で、幼い頃に虐待を受け、あまりの壮絶さに、「これは現実ではない、虐待を受けているのは自分じゃない、全然違う子なんだ」と、自分を遠くから客観視して、それが後に別の人格を生み出したという説があるが、私もそのように自分を現実から遠ざけて、何も感じないようにし、「これは現実に起こっていることではないのだ」と夫の行動を無視することで、私なりにこの状況に対処して来たのかも知れない。
アルコール依存症者と一緒に暮らして行くということは、それほど複雑な、周りから理解されないようなテクニックが求められる。
この病気に常識が通用しないとは、このことである。
***** 追記*****
アルコールの離脱症状は、重症になると死に直結します。だから命を助けるための世話は、してあげるべきだと思います。私は夫を放置していたから、それを自分の都合のいいように正当化してしまいましたが、夫が生きていてくれたことは、運が良かっただけであり、もし夫が命を落としていたら、私は夫を助けずに見殺しにした非道な人間ということになる。そういう思いは、いくら正当化しても私の罪としていつまでも心に残り、消えることはない。
重度のアルコール依存症者の離脱症状は、本来は病院でデトックス(アルコールの解毒治療)をしてもらうべきことです。もし病院に行くことを拒み、家で離脱症状を迎えるなら、世話をしたくなくても最低限の注意は払い、何かあればすぐに救急車を呼んで下さい。