理不尽な病 ~アルコール依存症の夫と暮らして~

アメリカ人の夫との結婚生活15年。夫のアルコールの問題に悩まされて10年。アルコール依存症だと認識して約8年。健やかなる時も病める時も、死が二人を分かつまで、私はこうして地獄に付き合わなければならないのだろうか…? 遠い日本の親にも友達にも言えないこの苦しみを、どうかここで吐き出させて下さい。(2018年5月)

夫のこと

夫は有能なITコンサルタントだった。
娘が生まれる直前から11年間、家族のために頑張って働いてくれた。
難しい性格ではあるのだが、職場での彼への評価は高かった。体面を非常に気にする彼は人と争うことなく、黙々と仕事に打ち込み、みんなからの厚い信頼を得ていた。

 

夫の飲み方がおかしくなってきたのは、彼の仕事への真面目さゆえに感じてきたストレスからだった。それでも朝は普通に会社に行き、帰宅してから家でアルコールを飲むという、ごく普通の一般的な社会人だった。アルコールを飲まない私は、夫の飲む量が異常なのかそうでないのか、知る由もなかった。アルコールを飲む人っていうのは、そういうものなのだと思っていた。

 

この頃から数カ月に一度の割合で震えやけいれん、苦しみを伴う離脱症状に襲われてきたのだが、当時の私達には、何故彼の身体にこのようなことが起きているのかは分からなかった。

 

しかし離脱症状が現れてけいれんが起こり、苦しみに悶える夫を初めてERに連れて行き即入院になった2013年の春にはもう、夫がアルコール依存症であることは明白であり、夫もそれを認めていた。

 

初めは夫がアルコール依存症であるという事実を疑い信じていなかった義父母は、彼の入院によってその事実を受け入れ始めた。

 

元々医者嫌いの夫に、入院は屈辱的なことだったに違いない。
医者の意見も聞かずに、自主的にAMA (Against Medical Advice/医師の忠告に反して)で即刻退院してしまった。この時も自主退院を止めようとする看護師と言い合いが繰り広げられ、その間に入って私は困惑した。看護師に呆れられ、仕方なくAMAが認められた時、夫は自分の身体に付けられた医療器具を力いっぱい引き抜き、感嘆の声を出して開放感に浸っていた。難しい性格の夫は本当に予期しないことをするので、私の苦労が絶えない。

 

その夜病院のIDタグを手首につけたままバーで飲み泥酔した夫は、そのまま再び入院した。今度はおとなしく入院生活を送ってくれたのだが、これが転落の始まりだとは思ってもみなかった。

 

退院した日には素直にリハビリ施設へ入ってくれたのだが、家族みんなでの涙の別れの後、一泊しただけでリハビリ施設から電話がかかってきた。「あなたのご主人、もう帰宅したいそうなので迎えに来て下さい。」
夫は、同室だったヘロイン中毒患者が怖くて、一睡もできなかったらしい。そしてそれはその後の彼のリハビリ施設に対する偏見を植え付けてしまった。

 

その後数年のうちに、更に2回のER行き&入院、2回の救急車でのER搬送、と、夫の症状は改善する兆しもなく、更に悪化していった。

 

初めて救急車でERに搬送されたのは、娘の9歳の誕生日だった。家族でお祝いしようと泊まりで訪れたキャンプ場で、夫は娘の誕生日を台無しにした。

 

精神的な病のため、ということで、会社から1カ月の休暇をもらって自宅静養していた時もあった。

 

夫の会社から私の留守電にメッセージが入っていたのは、2016年8月のことだった。
「ご主人が酔いつぶれて会社の廊下で倒れていたので、救急車で病院に運びました!」

 

・・・え・・・!?

 

会社へは、夫の病のことはずっと内緒にしていた。
夫に言うなと強く言われていたからだ。
何度かアルコールのせいで出社できなかった時も、私は夫の会社に電話をした。
「夫の体調が悪くて・・・。」アルコールのせいだということは、一言も言わなかった。
言えなかった。

 

職場から救急車でERへ搬送されたことにより、会社が夫の病気について知ることとなった。

 

今までのミステリアスな欠勤や入院、会社にとって夫はもう、辞めて欲しいお荷物な人間になり下がったことであろう。それでも夫を高く評価してくれていた会社は、夫に最後のチャンスをくれた。そして、しばらく休暇をくれた。「いつまでも待ってるから、ちゃんと病気を治して、また帰っておいで!」・・・そんな温かい会社の対応に、私達は救われた。

 

さあ、今度こそはちゃんと病気を治そう!会社にバレたのは、結果として良かったのかも知れない。これで食事の席でアルコールを勧められることもなくなり、みんなが夫のアルコール問題を認識してくれ、彼も回復に向かっていけるはずだ!

 

・・・それが、である。せっかく会社が与えてくれた休暇を、夫は無駄にした。
長期でリハビリ施設に入る機会をもらったのに、夫はそれを頑なに拒否し、自宅で静養を続けた。

 

その間、元々予定にしていた家族旅行で海に行ったのだが、そこで泊まったホテルの目の前にあった酒屋で、アルコールを買ってしまった。また、飲み始めた。これ以上飲む前に早く帰ろうと予定を切り上げ、私達はホテルを後にした。帰りの車内で離脱症状に襲われる夫を横に乗せ、私は一人で7時間のハイウェイを運転した。乗り慣れない、約1年半ぶりに運転した夫の大きな車。いつまでこんなことが続くのだろう・・・?惨めだった。その日は、娘の11歳の誕生日だった。
娘の誕生日を夫のアルコールで台無しにされたのは、これで2度目である。

 

そして離脱症状が終わってすぐ、夫は会社に復帰した。
その間、会社を休んだのは2週間だけだった。

 

それから2週間後にはまた連続飲酒と離脱症状。そしてそのまた2週間後には、夫はスーツを着たまま朝から床に寝転んでいた。そばにはアルコールがあった。もういい加減、夫の問題に関わるのが嫌になった。夫に声もかけず、会社に電話もせず、夫が生きているということを時々確認しつつ、夫をそのまま3日間程放置した。

 

私が会社から帰宅する途中で、夫から電話があった。酔いも冷め、自分がもう何日も会社に行っていないことに気が付いたのだろう。夫はかなり興奮していた。お互いに激しく口論した。

 

無断欠勤の後、義父に会社に電話をしてもらった。
「息子は、ずっと体調が悪くて会社に行けませんでした。」

 

夫はその翌日、出社した。
そして、その1週間後の2016年10月、夫は長年勤めた会社を解雇された。

 

 

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