理不尽な病 ~アルコール依存症の夫と暮らして~

アメリカ人の夫との結婚生活15年。夫のアルコールの問題に悩まされて10年。アルコール依存症だと認識して約8年。健やかなる時も病める時も、死が二人を分かつまで、私はこうして地獄に付き合わなければならないのだろうか…? 遠い日本の親にも友達にも言えないこの苦しみを、どうかここで吐き出させて下さい。(2018年5月)

Insanity (狂気の沙汰)

アルコール依存症の夫と共に暮らしていると、時折どっと疲れが押し寄せて来る。

 

やるせない気持ちに、絶望的になる。

投げやりになり、暴言を吐いてしまう。

怒鳴り過ぎて、声が枯れる。

関わるだけで、気が狂いそうになる。

 

アルコール依存症の夫に、私の立場や苦悩なんて、到底分からないだろう。

夫は「アルコール依存症」という病に、そして私は「アルコール依存症の家族」という病にどっぷりと浸かってしまっている。

 

家族の中にアルコール依存症者がいるとどんな暮らしになるのか、きっと経験者以外には誰も想像はつかないだろう。

誰もが容易に思い浮かべられるような、酔っ払っての暴言や暴力、そんな目に見えるような簡単で単純なものじゃない。

 

その日々は理不尽で不条理極まりない言動の対応にあけくれ、神経をすり減らしていく中で、避けることができたはずの死への恐怖と常に直面させられる。

裏切りと失望の連続は憎しみを生み、もっと精神的で、マインドゲーム的な複雑な要素と感情が入り混じり、アルコール依存症の家族の人格までをも破壊させる、世の常識が全く通じない狂気の世界。

 

私は時々自分が怖くなる。

どうにか理性を保ち、夫を身体的に攻撃することだけは抑えている。

それでも怒りの感情が頂点に達し、夫憎さのあまりに、もし夫を刺してしまうようなことがあったとしたなら、それは間違いなく一回の刺し傷だけでは済まなかっただろう。

そんな恐ろしい妄想がイメージトレーニングのように私の中に定着してしまわないよう、私は意識して理性を保つようにしている。

 

夫のために自分が犯罪者になってしまうことだけは、どうしても避けなければならないこと。

特にDVに厳しいアメリカでは、感情に任せて相手をひっぱたくことさえはばかられる。(それがなければ、夫を何百発ひっぱたいても足りなかっただろう。)

 

夫は飲むだけ飲んで自堕落な生活を続け、どん底まで堕ちていけばいい。

でも私は、夫のように堕ちて行くわけにはいかない。

 

私には娘がいるから。

娘を育てていかなければならないから。

 

堕ちてしまった父親の分を補うかのように、私は母親として、娘に普通の暮らしをさせなければならない。

そういう使命が、私に理性を持ち続けさせる。

 

それでも私は夫に、時折、つい暴言を吐いてしまう。

私は夫を恐れてはいない。

ここにはとても書けないようなこと、人格を疑われてしまいそうなこと、そんな暴言を平気で夫に吐き、やり場のない怒りの感情をぶつける。たとえ酔っ払い相手には無意味な行為であろうとも、誰か(たとえそれが廃人であっても)に自分の感情をぶつけて解放させることは、私には必要なことである。そういう、感情を押し殺さない、ということをすることにより、私はかろうじて夫を刺さないでいられるのかも知れない。

 

思えば、夫も私も感受性が強過ぎるが故に、相手の傷つけ方を熟知しているのだ。

どう言えば最高レベルに相手が傷つくか、お互い分かっているのである。

 

そんな激しいバトルでお互いを傷つけ合い、これが一度は愛し合った夫婦なのかと思ってしまうほどの修羅場を展開させ、心身共に憔悴する。

 

余談ではあるのだが、そんな修羅場を繰り広げても、ちょっと時間を置いて冷静になると、結構普通に仲直りしてしまうものである。それは夫が酔っぱらって記憶をなくしているから、ということではなく、元々のシラフでの夫が、「根に持たない」、「尾を引かない」、「後々まで引きずらない」、というめでたい性格の持ち主だということが関係しているのだと思う。

 

そういう意味では、娘も夫と同じく、「根に持たない」、「尾を引かない」、「後々まで引きずらない」、という性格である。そして私はその真逆の、「根に持つ」、「尾を引く」、「後々まで引きずる」、という性格であり、物事をハッキリと決着させたいという、真面目で正義感に溢れた面倒くさい性格であるから、時にそんな夫の、「ケンカしちゃったけど、まぁいいじゃないか~」という緩い感覚にありがたく(?)助けられて、これ以上の修羅場にはならないのかも知れない。

 

壮絶なバトルなんてしていなかったかのように、普通に笑顔で話しかけてくる夫にイライラさせられつつも、冷静になってきた私にとっては、そういう夫の緩くて根に持たない性格には、かえって救われているのかも知れない。

 

話はそれたが、ここで言わんとしていたことは、おとなしくて人との争いを好まない私が、夫には普通に暴言を吐いてしまうということ。

そして、意識して理性を抑えているからこそ、夫を身体的に傷つけないでいられている、ということ。

 

夫を刺すだなんて物騒なことを書いてしまい、さぞかし恐ろしい女だと思われたかも知れないが、長年アルコール依存症に関わっていると、ここまで追い詰められて心が病んでしまうものなんだ、という極端な例としてあげました。

 

もちろん私は常識人であり、人の道に外れたことをするつもりはさらさらない。

 

ただ、よくTVのニュース等で流れたりする、家族間での怨恨や絶望から引き起こされた恐ろしい犯罪(例えば、介護疲れによる殺人や、ひきこもりである成人した子供を親が殺めてしまう、等)や、「あの人がこんなことをするはずがない!」と周りから驚かれたりする犯人の心情について、普通の人には理解できないであろうことが、私には理解できてしまったりすることがあり(その犯罪の内容にもよるのだが)、そこまで感情移入できてしまうほどの、自分が背負っている苦悩の根深さというものは感じている。

 

そう思うと、アルコール依存症に限らず、家族の中に病気の人、特に精神疾患を抱えている人がいるということは、どんな病気の家族でも、それぞれに壮絶な日々に苦悩し、心が壊れてしまうことがあるのだ、とやるせなくなる。

 

私は本来、こんな人間ではなかった。

狂気や憎しみなんて、私には無縁だった。

 

夫が徐々にアルコール依存症になっていったにつれ、私もまた、徐々に、私が私ではなくなっていった。

 

 

f:id:MrsHope:20181015002821j:plain