機能しない人
夫が連続飲酒と離脱症状で廃人化し、人として機能しなくなる時、私は夫を自分の視界に入れないようにする。夫の存在を消し、私は一家の主となる。
冬の大雪の時、ご近所さん達が夫婦で仲良く協力して雪掻きをする中、私は一人で雪掻きをする。
夏は庭の芝生を、手押しの芝刈り機で、数時間かけて私が一人で刈る。
秋は家の周りの落ち葉を、私一人でかき集める。
男手がないシングルマザーの方は、こういう時は大変だろうなと思う。男手があるにも関わらず、使えない私の夫のことは、もういないものだと割り切り、一人で頑張るしかない。
「あそこの奥さん、働き者だなぁ~。ご主人は家で何やってるんだろ?」などとご近所の噂になっていなければいいのだが、ご近所さん達が夫婦で仲良くこれらのことをやる中で、私は一人で黙々と作業をする。そして、人としてこういう基本的な作業ができなくなってしまった夫を想い、苦しくなると共に、惨めな気持ちになる。
雪掻きを、夫も一緒にして欲しかった。
夫に、トラクターのような芝刈り機に乗って、サッと簡単に芝生を刈って欲しかった。
家の周りの落ち葉を、夫と一緒に集めたかった。
そんな面倒くさい庭の手入れ一つ一つが、自分の”Home”をいつくしむことだと思う。
家の外では、日々季節が流れている。
家の中では、夫一人の時間だけが止まっている。
晴れているのか、曇りなのか、雨なのか、雪なのか、木々が緑で溢れているのか、どのように紅葉が美しいのか、枯れ葉は舞っているのか、どれだけの綺麗な花が咲き誇っているのか、そんなこと、酒に溺れた夫には関係ない。
夫には、ウォッカさえあれば、もう、それでいいのだ。